白河院政期末の大治3年(1128年)右少史に任官すると、翌大治4年(1129年)左少史に昇任され、大治5年(1130年)には中宮少属を兼ねて、中宮・藤原聖子にも仕えた。
その後も、引き続き藤原聖子に仕えたとみられ、鳥羽院政期半ばまでに従五位上・皇太后宮大属に叙任される。久安3年(1147年)右大史に任ぜられ、左大史・小槻師経と並んで大夫史となる。翌久安4年(1148年)左大史に昇るが、早くも久安5年(1149年)ごろには左大史を去ったとみられる。なお、惟宗氏の氏人で大夫史に昇ったのは孝忠で最後となり、以降大夫史の地位は小槻氏が独占することになった。