惟宗直本 平安時代前期の官人、明法家。氏姓は秦公のち惟宗朝臣。正六位上・主計頭。子に惟宗善経、惟宗善貞。『律集解』、『令集解』。明法博士 From Wikipedia, the free encyclopedia 惟宗 直本(これむね の なおもと)は、平安時代前期の官人・明法家。氏姓は秦公のち惟宗朝臣。惟宗直宗の弟[1]。 時代 平安時代前期生誕 不明死没 不明官位 正六位上・主計頭概要 凡例惟宗直本, 時代 ... 凡例惟宗直本時代 平安時代前期生誕 不明死没 不明官位 正六位上・主計頭主君 陽成天皇→光孝天皇→宇多天皇 →醍醐天皇氏族 秦公→惟宗朝臣父母 秦文成兄弟 直宗、直本テンプレートを表示閉じる 経歴 陽成朝の元慶元年(877年)兄・惟宗直宗とともに讃岐国香川郡から左京六条に移貫する(当時の官位は正七位上・弾正少忠)。元慶7年(883年)直宗を始めとして直本自身を含む同族19人が、それまでの秦公姓から惟宗朝臣姓を賜与され改姓した(この時の官位は正六位上・右衛門少志)。 光孝朝の仁和2年(886年)右衛門少尉から大尉に昇格する。寛平4-5年(892年-893年)頃に検非違使別当・藤原時平からの諮問を受けて、検非違使兼右衛門大尉として『検非違使私記』2巻を撰述[2]。醍醐朝にて勘解由次官・主計頭を歴任し、明法博士も兼帯している。 人物 明法道の権威として、自邸で律令を講ずべき旨の宣旨を受けた。これは、かつて文徳天皇から律令の宗師と称えられた讃岐永直が、その晩年に自邸で律令を講じた先例を襲ったものとされる[3]。 著作に『令集解』50巻と『律集解』30巻があり、『二中歴』には十大法律家の一人としてあげられている。 官歴 注記のないものは『日本三代実録』による。 時期不詳:正七位上。弾正少忠 元慶元年(877年) 12月25日:讃岐国香川郡から左京六条に移貫 時期不詳:正六位上。右衛門少志 元慶7年(883年) 12月25日:秦公から惟宗朝臣に改姓 時期不詳:右衛門少尉 仁和2年(886年) 2月:右衛門大尉[4] 延喜2年(902年) 8月12日:見勘解由次官[5] 延喜4年(904年) 3月9日:見主計頭[6] 延喜7年(907年) 6月10日:見兼明法博士[7] 脚注 [脚注の使い方] [1]『日本三代実録』元慶元年12月25日条 [2]『政事要略』 [3]『世界大百科事典』 [4]『経俊卿記』康元元年5月条 [5]『政事要略』巻69 [6]『兵範記』嘉応元年12月15日条所載の清原頼業勘文 [7]『玉葉』安元2年9月14日条所載の中原章貞勘文中に引載 参考文献 伊能秀明「明法博士惟宗直本の明法勘文に関する一考察」『明治大学大学院紀要 法学篇 22』明治大学大学院、1985年 坂本太郎、平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年 『世界大百科事典 第2版』平凡社、2005年 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録 下巻』戎光祥出版、2009年 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』(古代氏族研究会、1986年) この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles