慕容佐 From Wikipedia, the free encyclopedia 慕容 佐(ぼよう さ、生没年不詳)は、五胡十六国時代の後燕の人物。昌黎郡棘城県の出身。 後燕に仕え、帯方王に封じられていた。 385年1月、寧朔将軍平規と共に薊城へ侵攻した。 2月、薊城を守る王永は宋敞に命じて、龍城と薊城の宮殿を焼き払わせ、壺関へ撤退した。その後、慕容佐らは薊城に入った。 平北将軍に任じられた。 5月、龍城に鎮した。 6月、高句麗が遼東に侵攻、慕容佐は司馬郝景を救援に遣わしたが、敗れたため遼東・玄菟の二郡を失陥した。 平州刺史に任じられた。 11月、龍城から平郭に移り、この地を鎮した。 これ以後の事績は、史書に記されていない。 参考文献 『晋書』巻123 『資治通鑑』巻106 『十六国春秋』巻44 Related Articles