慕容曄
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人物・逸話
光寿3年(359年)2月、慕容儁は群臣を蒲池に集めて宴を催した。慕容儁が涙を流して、群臣に慕容曄の評について問うと、司徒左長史李績が「太子(慕容曄)は大徳が八つありました。至孝は天より授かり、性質は道理に適っていました。これが一つ。聡敏かつ慧悟であり、機思は流れるようでした。これが二つ。沈毅で決断が早く、その理に暗いものはありませんでした。これが三つ。諛言を嫌い、直言を好んでいました。これが四つ。学問や賢人を愛し、目下の者に問うことを恥じることはありませんでした。これが五つ。その姿は古の英雄より勝り、才芸は時代を超越していました。これが六つ。襟を正して謙虚に師の教えを尊んでいました。これが七つ。財を惜しまず施しを好み、民衆の苦しみに寄り添っていました。これが太子の八つの大徳です」と評した。慕容儁はこれを聞き、慕容曄が存命であれば、死んでも憂う事はなかったと嘆いた[1]。