慶親王内閣
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内閣構成員
内閣の総理大臣・閣僚は下記のとおり。特に説明が無い限りは1911年5月8日(宣統3年4月10日)に任命され、11月1日(宣統3年9月1日)の内閣瓦解と共に解任された。日付は全てユリウス暦。
| 職名 | 氏名 | 所属 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 国務大臣 | 内閣総理大臣 | 慶親王奕劻 | 満人・宗室 | |
| 内閣協理大臣 | 那桐 | 満人 | 同時就任 | |
| 徐世昌 | 漢人 | |||
| 外務大臣 | 梁敦彦 | 漢人 | ||
| 民政大臣 | 粛親王善耆 | 満人・宗室 | 8月15日に理藩大臣に異動 | |
| 桂春 | 満人 | 9月4日から臨時代行 | ||
| 趙秉鈞 | 漢人 | 10月30日任命 | ||
| 度支大臣 | 鎮国公載澤 | 満人・宗室 | ||
| 学務大臣 | 唐景崇 | 漢人 | ||
| 陸軍大臣 | 廕昌 | 満人 | ||
| 海軍大臣 | 貝勒載洵 | 満人・宗室 | ||
| 司法大臣 | 紹昌 | 満人・覚羅 | ||
| 農工商大臣 | 貝子加貝勒銜溥倫 | 満人・宗室 | ||
| 郵伝大臣 | 盛宣懐 | 漢人 | 10月26日解任 | |
| 唐紹儀 | 漢人 | 10月26日任命。未着任で郵伝部右侍郎の呉郁生が代行 | ||
| 理藩大臣 | 寿耆 | 満人・宗室 | 8月15日に免職 | |
| 粛親王善耆 | 満人・宗室 | 8月15日に任命 | ||
| 都察院 | 都御史 | 張英麟 | 漢人 | |
| 弼徳院 | 院長 | 陸潤庠 | 漢人 | 7月10日解任 |
| 栄慶 | 漢人 | 7月10日任命 | ||
| 副院長 | 栄慶 | 漢人 | 7月10日に院長に任命 | |
| 鄒嘉来 | 漢人 | 7月10日任命 | ||
| 典礼院 | 掌院学士 | 李殿林 | 漢人 | 7月20日に礼部が典礼院に改められて任命される |
| 副掌院学士 | 郭曽炘 | 漢人 | 7月20日に礼部が典礼院に改められて任命される |
上記の表の通り、皇族と満州人が重要閣僚ポストを独占しており、6人いる漢人出身の国務大臣は副首相に相当する内閣協理大臣に任じられた徐世昌以外の5人は何ら実権の無い名誉職であった。この組閣の失敗については、一般的に摂政王の載灃の責任が大きいとされる。
