憲兵とバラバラ死美人
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『憲兵とバラバラ死美人』(けんぺいとバラバラしびじん)は、1957年(昭和32年)8月6日に公開された日本のサスペンス映画[1][2]。監督は並木鏡太郎で、主演は中山昭二が務めた。製作・配給は新東宝[3][1][2]。モノクロ、スタンダード[2]。上映時間は73分[1]。
元憲兵大尉の小坂慶助による『のたうつ憲兵』を原作として、制作された[1][2]。戦時中の憲兵隊で実際に発生した猟奇事件を下敷きにしている[4]。ポスターなどのスチールでは怪奇映画のようなイメージとなっているが、劇中に怪奇現象などの描写はない[2]。
昭和12年10月[1]。宮城県仙台市に衛戍する歩兵第4連隊は主力が満州に移駐しており、その状況で連隊敷地の炊事場付近の井戸から、妊娠中の女性の胴体だけとなった遺体が腐乱状態で見つかる[1]。捜査は難航し、東京の憲兵隊から曹長の小坂が派遣される[1]。しかし、仙台の憲兵隊はそれを快く思わず、小坂は警察と組む形で事件を調べる[1]。
容疑者として浮上した炊事班長の軍曹は艶聞も多く、仙台憲兵隊から拷問を含む執拗な取り調べを受けていた[1]。だが、小坂は東北帝国大学で資料を調べた結果、単独犯では遺体の運搬は不可能だと知る。小坂は切断された遺体の隠し場所として隣接する陸軍病院に着目し、霊安室近くの井戸から手足と髑髏を発見する[1]。鑑定の結果、髑髏は陸軍病院の下士官君塚軍曹と深い関係を持っていた伊藤百合子のものだと判明する[1]。犯人逮捕のため小坂は、部隊を脱走した君塚が潜伏する近隣の村へと向かう[1]。
キャスト
スタッフ
評価など
様々な死体描写が見どころとなっており、ゲテモノ映画・キワモノ映画で知られる新東宝の映画の中でも1,2を争う怪作と評される[1]。書籍『特撮全史 1950-60年代ヒーロー大全』では、扇情的なタイトルやスターを排する企画第一主義の内容など、新東宝社長である大蔵貢の思想が色濃く反映されていると評している[2]。
本作品のヒットを受け、新東宝では同傾向の『憲兵と幽霊』(1958年)を続けて制作した[5]。大蔵映画でも同様の題材で『怪談残酷幽霊』(1964年)を制作している[5]。書籍『大特撮 日本特撮映画史』では、戦時中の憲兵に対する恐怖が十数年経っても人々の心にしこりとして残っていたことから、怪談の題材になったものと推測している[5]。
コピーライターの糸井重里は少年時代に本作を間違えて見てしまい、トラウマになったと語っているが、彼が観たという筑波久子は当時日活の所属であり、本作には出演しておらず、記憶違いかもしれない旨がほぼ日編集部によって注されている[6]。