戸上城太郎

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本名 田川正三(たがわ まさみ)
生年月日 (1916-05-18) 1916年5月18日
没年月日 (1980-07-24) 1980年7月24日(64歳没)
出生地 日本の旗 日本長崎県
とがみ じょうたろう
戸上城太郎
本名 田川正三(たがわ まさみ)
生年月日 (1916-05-18) 1916年5月18日
没年月日 (1980-07-24) 1980年7月24日(64歳没)
出生地 日本の旗 日本長崎県
死没地 日本の旗 日本東京都杉並区
職業 俳優
ジャンル 映画
テレビドラマ
活動期間 1939年 - 1979年
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戸上 城太郎(とがみ じょうたろう、1916年5月18日[1] - 1980年7月24日[2])は、日本俳優

長崎県に生まれる[1]。本名・田川正三[1]

猶興館中学4年修了[1]東宝京都撮影所俳優養成所で学び、1939年今井正監督の『沼津兵学校』でデビュー[1]。すぐに日活に移籍し、1941年稲垣浩監督の『海を渡る祭礼』で初主演。その後所属先は日活から大映松竹と変わる。

大柄な体躯と野太い声が特徴で殺陣の名手としても知られたが、台詞回しの癖のため主演スターとしては伸び悩んだ。中年期以降は主に時代劇の悪役・敵役として活躍した[3]

1960年には高田浩吉近衛十四郎と共に時代劇量産体制にあった東映に移籍。東映時代『梟の城』(1963年)において大友柳太朗と敵対する忍者の頭目の役で、高所恐怖症のため空を飛ぶシーンの撮影(クレーンとワイヤーを用いた)の際に苦労した[4]とのエピソードがある。

1964年、『集団奉行所破り』を最後に東映を離れ、映画のみならずテレビドラマへも多数出演。

1980年7月24日、死去。

稲垣の監督生活50周年記念『地獄の蟲』(戦前に不完全な形で公開された作品の完全な形でのリメイク)が遺作となった。

出演作品

脚注

外部リンク

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