戸塚町 (東京府)
日本の東京府豊多摩郡にあった町
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地理
歴史
行政
町村長
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 中村亀太郎 | 1889年(明治22年)6月19日 | 1893年(明治26年)6月25日 | 村制施行 |
| 2 | 比田重正 | 1893年(明治26年)6月23日 | 1897年(明治30年)6月22日 | |
| 3 | 福田芳之助 | 1897年(明治30年)6月23日 | 1909年(明治42年)5月24日 | |
| 4 | 粕屋義輔 | 1909年(明治42年)10月12日 | 1916年(大正5年)8月29日 | 町制施行 |
| 5 | 福田芳之助 | 1916年(大正5年)9月18日 | 1917年(大正6年)7月13日 | |
| 6 | 早野敎暢 | 1917年(大正6年)10月24日 | 1923年(大正12年)2月24日 | |
| 7 | 鮫島雄介 | 1923年(大正12年)7月25日 | 1925年(大正14年)2月6日 | |
| 8 | 大塚義太郎 | 1925年(大正14年)4月11日 | 1925年(大正14年)9月8日 | |
| 9 | 横山襄 | 1925年(大正14年)10月12日 | 1929年(昭和4年)11月11日 | |
| 10 | 野中富三郎 | 1929年(昭和4年)11月12日 |
水道
地域
- 大字
- 小字(地番)
- 戸塚
- 清水川(1-227)、宮田(228-464)、久保田(465-611)、上ノ臺(612-756)、伊勢原(757-864)、稻荷前(865-1040)、馬場崎(1041-1069)、馬尿川(1070-1076)、川向(1077-1078)
- 下戸塚
- 稻荷前(1-138)、石田前(139-270)、三島(271-447)、荒井山(448-566)、松原(567-657)
- 源兵衛
- バツケ下(1-53)、向原(54-127)、秣川(128-253)、向芝原(1725-1726、元高田村)
- 諏訪
- 宮東(1-88)、中通(89-178)、西原(179-256)、北裏(171、174、元大久保村)
人口
人口増加の理由として、『豊多摩郡戸塚町現状調査』8-9頁では、早稲田大学があることも理由の一つではあるが、東京市からの人口流入によるものが大きいとしている。
教育

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交通
備考
令和時代になってもなお、警視庁戸塚警察署や戸塚第一小学校・第二小学校・第三小学校などに「戸塚」の名を残す。
東京市編入時に大字下戸塚は戸塚町一丁目になり、大字源兵衛は戸塚町二丁目、大字戸塚は戸塚町三丁目、大字諏訪は諏訪町になったが、1975年に住居表示のためその大部分が明治通りを境に東部が西早稲田、西部が高田馬場にそれぞれ編入された。ただし、戸塚町一丁目の一部が現在もリーガロイヤルホテルや早稲田中学校・高等学校の場所等に点在して残置する。
早稲田大学のキャンパスは早稲田町ではなく、西早稲田(=旧戸塚町)に存在する。
1636年に江戸幕府が設置した高田馬場は旧戸塚町の内であるが、現在の住所で言えば高田馬場ではなく西早稲田三丁目に当たる。堀部武庸の高田馬場の決闘があった場所も同様である。
戸塚村と大久保村は、かつて富塚村(とづかむら)という名で、同根であるとされる。
その他
シチズン時計の発祥の地は戸塚町で、現在も工場跡にシチズンプラザが設置されている。