戸田清 (数学教育学者)
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1902年、岡山県生まれ。岡山の六高で高専柔道に励む。1921年までに初段となる[3]。1921年、六高が開発した脚への関節技・膝跨関節十字固(膝十字固め)に最も熟練していて対四高戦で新兵器として使用した[4]。相手が怒りだし蹴飛ばされる。相手は審判から注意され、耐えて引き分けとなる。だが、四高側が反則だと猛烈に抗議し出し、協議の結果、暫定的に以降使用禁止となる。この後、柔道で本格的に禁止技になったが[5]、サンボやプロレス、MMAで使用されるようになった。
東京帝国大学理学部数学科を卒業。卒業後は広島高等師範学校教授。1949年より広島大学教育学部教授。1956年までに柔道六段を取得[6][7][8]。1965年までに中国四国学生柔道連盟顧問となる[9]。1965年に定年退官し、名誉教授となった。大阪予備校講師。学界では、日本数学教育学会副会長を務めた。99歳で死去。