長田新
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長野県諏訪郡豊平村(現:茅野市)出身。古田小学校下古田分校では、歌人島木赤彦の父、塚原浅茅教諭の教えを受ける。長野県立諏訪中学校(現:長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、広島高等師範学校英語科を卒業後、大分師範学校の教諭を3年務めた後、1915年(大正4年)京都帝国大学文学部卒業。澤柳政太郎のもとで新教育運動に参加し、教育の実証的実験研究を行う[1]。旧制広島文理科大学(広島大学の前身)教授在任中の1945年(昭和20年)8月6日広島に投下された原爆に被爆し重傷を負ったが、家族や教え子の看護で九死に一生を得た。敗戦直後の12月には学長に就任して広島文理大の再建にあたり、その後学制改革により新制広島大学が設置されると1953年(昭和28年)の退官まで同大学の教授を務めた。1947年(昭和22年)には日本教育学会初代会長に就任した。また「日本子どもを守る会」を結成しその初代会長を務めるなど戦後の日本の教育再建の立役者の一人となった。
宮原誠一、矢川徳光、梅根悟ら、戦前・戦中期に活躍した教育学者には、戦後、戦時中の戦争協力を煽った論文や文書や業績を省略・削除・隠蔽する者がいたが[2][3][4]、「進歩的文化人」が戦時中は「戦争は人類進歩の原動力」と極言して体制迎合し、戦後になると平和主義者・民主主義者に豹変したという暴露本『進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』には長田について、次の副題が付けられている。
ペスタロッチ研究
『原爆の子』の編集刊行
家族
栄典
著書
- 『次の世界大戦 一名・日本の野心』冨山房 1917
- 『輝ける二女性 新教育の使途』日本社 1923
- 『ナトルプに於けるペスタロツチの新生』イデア書院 1925
- 『形式的陶冶の研究』モナス 1925
- 『現代教育哲学の根本問題』改造社 1926
- 『ペスタロツチーの教育思想』金港堂書店 1927
- 『教育史論 文科大学講座』イデア書院、1929
- 『独逸だより 再遊記』目黒書店 1931
- 『教育学』岩波書店 1933 続哲学叢書
- 『ペスタロッチーの宗教教育論』渾沌社出版部 1934 渾沌社教育叢書
- 『ペスタロッチー教育学』岩波書店 1934
- 『教育活動の本質』同文書院 1936
- 『ペスタロッチー』岩波書店 1936(大教育家文庫)
- 『近世西洋教育史』岩波書店 1936
- 『最近の教育哲学』岩波書店 1938
- 『新知育論』岩波書店 1939
- 『国家教育学』岩波書店 1944
- 『教育即宗教論』玉川出版部 1946(玉川文庫)
- 『教育精神の本質』玉川出版部 1947(玉川文庫)
- 『フレーベルに還れ』大八洲出版 1949
- 『ペスタロッチー伝』岩波書店 1951-52
- 『宗教と教育』福村書店 1954
- 『社会主義の文化と教育 わたくしのみたソ連と中国』1956 理論社新書
- 『道徳教育の根本問題』牧書店 1958
- 『教育哲学 教育学はどこへゆく』岩波書店 1959
- 『平和を求めて 長田新論文・追想記』広島大学新聞会 1962
- 『長田新著作集』全7巻 学術出版会 2011
共編著
- 現代欧米教育大観 小西重直共編 同文館 1924
- 統合小学校管理法 小西重直共著 永沢金港堂 1937
- 統合各科教授法 小西重直共著 永沢金港堂 1937
- 新教育の構想 アメリカの文化・教育を批判して 石山脩平共著 フエニックス書院 1949
- 新教育の批判と建設 特にカリキュラムを中心として 大洋図書 1950
- 原爆の子 広島の少年少女のうったえ 岩波書店 1951 のち文庫
- 原爆の子にこたえて 牧書店 1953. NCID BN1447479X
- 日本の運命と教育 石山脩平共著 1953(牧教育新書)
- 教師と人生 朝倉書店 1954
- 教育哲学の課題 東洋館出版社 1954
- 日本の幼児教育 その問題点をめぐりて 山下俊郎、荘司雅子共著 フレーベル館 1956
- 国際理解の教育 コメニウス三百年記念祭を迎えて 育英書店 1959
- わたしがちいさかったときに―原爆の子 他より (若い人の絵本) 絵 : 岩崎ちひろ 童心社 1967 のちフォア文庫ISBN 978-4494021024
雑誌
論文
- 「民族敎育について」『教育』第1巻 1号 1933

