戸田繁子
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島根県飯南町出身[3]。1923年に高等小学校を卒業、島根県女子高等師範学校に入学した[4]。1927年に卒業後、島根県飯石郡吉田村小学校に赴任するが、さらに学ぶために松江市の飯田忠義の元に通いレッスンを受ける。1929年4月、東京音楽学校に設置された教員養成所の試験に合格[6][注釈 1]。翌1930年5月から1932年3月まで、同校でピアノを遠山つや、声楽を田中伸江(ピアニスト田中希代子の母)に学ぶ[4]。
1932年に卒業後は故郷に帰り、島根県立今市高等女学校(現・出雲高等学校)に勤務[4]。当時盛んになりだした「音感教育」を学ぶため、大阪音楽大学創立者永井幸次の研究会に通い、1936年にはより近い兵庫県立淡路高等女学校に転勤して通い続けた[4]。音楽教育者佐々木幸徳(基之)[注釈 2]からも指導を受けた[4][3]。戦時下となり同年奈良県立高田高等女学校に移る[4]。終戦後1947年から広島県立上下高等学校に務め、佐々木が提唱した分離唱を主体とした合唱指導を行った[4][注釈 3]。当時の教え子に俳優平幹二朗がいる[3]。
1958年に退職して広島県広島市佐伯区吉見園に移り住み、就学前の幼年時から始める音感教育のために音楽教室「杉の子会」を開く[4][3]。以来50年にわたり100歳を超えてもレッスンを続け、教え子は小学1年から通った作曲家の糀場富美子、5歳から通った指揮者大植英次ら、500人にのぼった[3]。
2019年4月に没した後、愛用のグランドピアノが2020年に故郷の島根県飯南村に寄贈された[3]。