戸田華子
日本の元皇族、元華族夫人
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人物
1909年(明治42年)6月30日 、閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第5女子(第7子/末子)として、神奈川県小田原市の閑院宮御別邸で誕生した。
1926年(大正15年)12月13日に侯爵華頂博信と結婚し、「華頂 華子(かちょう はなこ)」となり、2男1女をもうける。戦後、夫が公職追放となり収入が乏しくなったため、自邸を改装してダンスホールを開き、ダンス講師も務めた[1]。
婦人衛生会を通じて知り合った戸田豊太郎(徳川慶喜の孫娘徳川喜和子の元夫)と不倫が発覚し、1951年(昭和26年)に離婚。夫と離婚後、竹村姓の戸籍を編成し、「竹村 華子」と名乗る。1953年に、不倫相手であった戸田と再婚し、「戸田 華子」となる。戦後の旧皇族関係者の離婚第1号となった。
2003年(平成15年)5月10日午前4時32分、肺炎のため、東京都調布市内の病院にて死去。93歳没。なお、葬儀の喪主は、長男・華頂博道が務めた。
親族
- 父:閑院宮載仁親王
- 母:載仁親王妃智恵子(三条実美公爵令嬢)
- 兄弟姉妹:篤仁王 - 恭子女王 - 茂子女王 - 季子女王 - 春仁王 - 寛子女王 - 華子女王
- 夫:
- 前夫:侯爵華頂博信(伏見宮博恭王第3王男子) ‐ 1926年結婚、1951年離婚。
- 後夫:戸田豊太郎(1898-) ‐ 兵庫県・戸田次郎吉の二男、徳川喜和子の前夫。ケンブリッジ大学卒業後、日経連外国課長を経て秋田製鋼社長などを歴任[2]。敗戦直後、豊太郎の交渉により会館のGHQ接収を免れたとして日本工業倶楽部の顧問となった[2]。1950年に前妻と離婚し、スポンサーとして支援していた日本衛生婦人会の副会長だった華子との情事を1951年に博信に目撃され、博信、華子、豊太郎、華子の兄の閑院純仁が新聞紙上で応酬し、豊太郎の前妻喜和子まで取材に応じる大騒動となった[3]。1953年に華子と再婚、博信から提訴され、1956年、50万円の慰謝料支払いの判決を受けた[3]。
- 子女:
また、日本映画製作者連盟事務局長をつとめている華頂尚隆は、孫(華頂博道の息子)にあたる。