「扇屋」は新吉原江戸町の大見世で、主人である墨河は十八大通の一人に数えられた。扇の雅称を「五明」と言ったことから「五明楼」とも称し、これが吉原で初めて遊女屋に「楼」の名の付けられた見世であるという。喜多川歌麿の美人画に描かれた名妓・花扇は扇屋抱えの遊女である。
教養人として知られ、和歌・俳句・狂歌のほか、書画にも通じた。特に和歌・書は加藤千蔭に師事。また狂歌を四方赤良に学び、加保茶元成主催する吉原連に属した。妻も垢染衣紋の狂名で知られる狂歌師である。画は北尾派風の美人画を残した。
寛政13年(1801年)没、墓所は東京都世田谷区の常福寺。妻の垢染衣紋とともに葬られている。