手嶌智
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経歴
拓大紅陵高では2年秋の県大会優勝も関東大会は初戦となる準々決勝で敗退。社会人野球の新日本石油では都市対抗野球に補強を含めて2回出場[1]、2004年のドラフト自由獲得枠で千葉ロッテマリーンズに入団。
最速140km/h後半のストレートに加え、スライダー・チェンジアップ・フォークなどを投げる。
2005年はファームで最多勝(10勝)を上げたが、やや制球・変化球に難があり、6月22日に一軍で初登板・初先発した際も甘く入ったチェンジアップを小笠原道大にレフトスタンドに運ばれるなどでノックアウトされている。以後は故障の影響などで二軍でも結果を残せない状態が続いた。
制球が不安定な部分は解消されず、2009年10月1日に戦力外通告を受け現役を引退。

2010年からは球団スタッフとしてロッテに残り[2][3]、初年度は打撃投手兼スコアラーを務めたのち[4]、2011年からは打撃投手兼球団広報を務めている[4][5][6]。
人物
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板・初先発登板:2005年6月22日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(千葉マリンスタジアム)、3回4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回表に坪井智哉から空振り三振
背番号
- 17 (2005年 - 2007年)
- 47 (2008年 - 2009年)
- 104 (2010年 - )