捉え方・解釈
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認知文法と現実構成主義
認知文法は(広義)の現実構成主義,すなわち「ヒトの生きる世界は「ありのまま」の現実ではなく,認知活動によって構成されたもの」(大堀 2002: 2[2]) という立場を採る。認知文法が現実構成主義を採ることはLangackerの以下の記述から明らかだろう。
Fundamental to conception is the asymmetry between its subject and its object. The subject (S) is the locus of neural activity through which it engages some facet of the world, the object (O). Activity mediated by receptor organs constitutes perceptual experience. The neural control of effective activity (instigation, proprioception, guidance) constitutes motor experience. As we construct our mental world, reaching progressively higher levels of abstraction and complexity, an increasing proportion of our experience is related only indirectly to perceptual and motor activity. (Langacker 2015: 121-122[3])
この現実構成主義を採用したうえで,認知文法では,言語表現の意味は,記述の対象となる客観的な事物そのものから一義的に定まるものではなく,その事物をいかに捉えるかという言語主体による捉え方が反映されていると考える。そこで認知文法では,言語表現の意味とはある言語表現と結びついた概念化(Langacker 2008: 4),つまりは概念化の対象となる概念内容(conceptual contents) とそれに対しての特定の捉え方であると考える。これは,Langackerの以下の記述に表れている[1]。
Most broadly, a meaning consists of both conceptual content and a particular way of construing that content. The term construal refers to our manifest ability to conceive and portray the same situation in alternate ways. (Langacker 2008: 43 強調原文)
つまり,言語表現の意味を考えるにあたっては,概念化の対象となる概念内容とそれに対する捉え方の 2 つの側面から考える必要がある。ここで注意したいのが,概念内容もまた概念化という動的な活動により生じるものであるということである。先に認知文法が現実構成主義を採ることを確認したが,この立場に依拠する限り,実際の認知活動から独立して存在する事物を観察することは原理的に不可能である。それゆえにわれわれの認知活動から独立した事物が存在しており,その事物に捉え方を適用していくというモデルは考えられない。したがって,概念内容とは,伝達したい状況の一部を適切な抽象度で切り取ったものだと言える (田中2026[4])。
概念内容 (conceptual content) と捉え方 (construal)
先に述べたように,概念内容とは,伝達したい状況の一部を適切な抽象度で切り取ったものあった。ここで以下の図をもとに考えたい。

ここでで念頭に置かれている概念内容は「コップの容積のちょうど半分を水が占めているという状況の概念」(Langacker 2008: 44) である。この概念内容を言語表現として表そうとすると,特定の捉え方を課すこととなり,(1) から (4) といった言語表現で同一の概念内容を表すことになる。
(1) the glass with water in it (Langacker 2008: 43)
(2) the water in the glass (ibid.)
(3) the glass is half-full (ibid.)
(4) the glass is half-empty (ibid.)
(1) は容器を指示し,(2) は容器の内容物を指示し,(3) は容器の内容物の量が容積のちょうど半分であるという関係を指示し,(4) は容器の内容物の存在しない部分が容積のちょうど半分であるという関係を指示している。 ここでは, 異なる捉え方が当てはめられることが (1) から (4) という異なる言語表現の違いを動機づけ,意味の違いが生じると考えられる。 次に捉え方について整理する。Langacker (2015) では,捉え方を以下のように定義する。
Construal is our ability to conceive and portray the same situation in alternate ways.(Langacker 2015: 120 強調原文)
われわれが,同一の状況に対して異なる言語表現を用いることができることは,同一の状況に対して異なる捉え方を適用させていることによると考えられる。 たとえば,〈ネズミを猫が追いかけていた〉場面に遭遇したとき,少なくとも (a), (b) のような異なる表現を用いることが可能になる。
a. The cat chased the rat. b. The rodent was chased. (Langacker 1985: 110[5])
(a), (b) は,客観的には同一の事態を表しているが,それぞれ能動態と受動態という異なる形式によって表現されている。認知文法では,これらは事態に対する主体の異なる捉え方を反映しているために意味も異なっていると考える。事態のどの側面に焦点を当てるか,どのような視座から事態を眺めるかといった捉え方の違いが,能動態・受動態という表現形式の違いを動機づけているということである。さらに,rat と表すか rodent と表すかは,いかに事態を詳しく捉えるかに動機づけられている (Langacker 1985: 110)。 さらに捉え方の柔軟さを表す例を見てみよう。
The pitcher ran from the bullpen to the mound. (Langacker 2008: 529) An ugly scar runs from his elbow to his wrist. (ibid.)
両文ともに移動動詞である run が用いられている。前者では主語として生起する the pitcher が実際に走っているのに対し,後者では主語として生起している an ugly scar の範囲を描写しているに過ぎない。後者では,主語の指示対象が実際に移動しているわけではないのにも関わらず, run という移動動詞や起点・着点の表現が用いられるのは,一見不思議に思える。認知文法では,これは移動を知覚するための主体の捉え方,すなわち注意を向ける点の移動とそれに伴う視線の移動などが 前者と後者に共通しているため,同じ移動動詞が用いられていると考える (Langacker 1998, 1999)。そして同じ傷を描写するのに,次の表現を用いることもできる。
An ugly scar runs from his wrist to his elbow. (Langacker 2008: 529)
このことから同一の状況に対して異なる捉え方が適用され,その捉え方に応じて概念化主体は異なる言語表現を用いることが可能であることがわかる。
特定性(Specificity)・スキーマ性(Schematicity)
我々が客観的な世界から意味を解釈するときにまず問題となるのが、いかに具体的にその状況を述べるか、という特定性の問題である。ある川の水量を述べるときに、「多い」と言うことも可能であろうし、もっと具体的に「1mある」と言うことも、「1m15cmある」と言うことも可能である。
特定性の反対は抽象性・スキーマ性(Schematicity)である。「1m15cm」と表現することは、「多い」よりもスキーマ性が高い、と述べることができる。
我々は、このより高いスキーマ性でもってものを捉えることができる能力(スキーマ化)によって、さまざまな言語表現を可能にし、さまざまな言語能力が駆動可能になっていると認知文法では考えられている。(認知文法の3.2「語彙文法の規定」を参照)
焦点化(Focusing)
ここでいう焦点化とは、ある概念内容から特定の認知領域を選択すること、前景化・背景化のプロセスを指す。
前景化・背景化
我々は普通、ある対象を把握していくときに、その対象のある部分にフォーカスを当てながらその対象を認識する。ある部分に焦点が当たったらその部分が「前景化(Foregrounding)」していると言い、その部分に焦点が当たらずに認識されるときに「背景化」していると言う。例えば以下の例ではaもbもそれぞれ真であり、パラフレーズの関係にあるといえるが、どの部分を前景化し、どの部分を背景化するかによってこのような言語表現が可能になると言える。
(例)
- a. A pessimist: “The bottle is half empty!”
- b. A optimist: “The bottle is half full!”(山梨正明 2009)
また、複合構造の中にもこのような前景化・背景化の関係があると言える(Langacker 2008: 60-62)。複合構造に対する構成要素の際だちの度合いを「分析性(analyzability)」と一般に言うが、この分析性の度合いは前景化・背景化の度合いを反映したものとして捉えることが可能になる。
(例)
- LIPSTICK MAKER
- LIPSTICK, MAKER
- LIP, STICK, MAKE, -ER
例えば、一番目の「口紅の製造業者」という語はそれ自体はそこまで定着度は高くない語であり、その意味で構成要素以上の意味を持っている度合いは低いため、分析性が高いといえる。よって、LIPSTICK MAKERという複合構造はそれ自体前景化しているが、それの構成要素であるLIPSTICKとMAKERという構造は少々背景化していると考えることができる。一方で、二番目の「口紅」と「製造業者」という意味の2語は構成要素の和以上の意味を持っているため、分析性は低いと言える。よって、その構成要素であるLIP、STICK、MAKE、-ERはかなり背景化していると考えることができる。
スコープ
焦点化はあるドメインを呼び出すのみならず、ある領域内の特定の部分にスコープを当てる際にも重要な役割を果たす。
我々はものを知覚する際に、見る対象の範囲を限定して、そのある領域内で知覚し、認知する。
例えば我々が「グラス」という概念の形を規定する際に、宇宙全体を見渡した上でその概念を規定する必要はない。ある特定の空間を想起したり、ある特定の空間を視覚的に認識するだけでそのグラスの形状を規定することはできる。よって我々は空間全体などの「最大スコープ」と、必要なだけ限定された「直接スコープ」に分けることが必要になるときがあるのである。
では、どのような時にこの「直接スコープ」の概念が有効になるのだろうか。例えば、「冷蔵庫の中のトマト」という表現は全く自然であるが、「家の中のトマト」という表現は不自然である。「アルバムの中の写真」は自然であるが、「家の中の写真」は不自然である。これは、叙述する際のスコープを誤って設定してしまったために、通常の直接スコープとは異なるスコープと捉えられるために不自然と感じてしまうのである。
さらに顕著なスコープの差は動詞の単純形と進行形の差に見ることができる。たとえば単純現在形(e.g. examine)は事態の最初から最後までを指すことができるのに対して、進行形は(e.g. be examining)は事態のある部分を取り出して描写することを表す。この差は、事態のどの部分にスコープを絞って叙述するかの違いを文法的に表したものであるといえる。
際だち(Prominence)
プロファイル
言語表現の意味は、その基盤として、言語形式が概念内容の特定の領域(認知ドメイン)を選択するところから始まる。それを概念のベースと呼ぶ。ベースとは、複合的なドメイン(Domain matrix)の特定の(活性化した)ドメインを取り出したもので、最大スコープ(Maximal Scope)または直接スコープ(Immediate Scope)に対応する。そして、そのドメインの中で、直接的な注意を向けたある特定の領域内の部分構造(substructure)をプロファイルと呼ぶ。(Langacker 2008: 66)
たとえば、「肘」という概念を考えてみよう。肘という概念を考えるに当たっては、まず体の一部分であることから、人間の体(最大スコープ)の中でも、「腕」にスコープを当てる必要がある(直接スコープ)。そしてその「腕」という直接スコープの中で、ある「肘」という部分構造を取り出す行為が「プロファイル」である。スコープが当たっているの区域の中で、特定の注意が当てられた部分をプロファイルということもできる。Langackerの認知図式(ダイアグラム)ではプロファイルがなされている対象は太線で表記がなされる。 このベースとプロファイルの関係は、ゲシュタルト心理学の「図」と「地」にあたる。
このベース・プロファイルの概念は、語の意味、文法的意味を考えるに当たって、認知文法においては中心的な役割を果たす。例えば、parent, child, have a parent, have a childという4つの言語表現の意味を考えてみよう。これについてLangackerは以下のように説明している。
この諸表現の意味的な差異は、「親子間の血縁関係」という一つのベースから異なったプロファイリングがなされたことに起因する。例えばparentとchildはその関係の中のある役割によって特徴付けがなされたある部分をプロファイルする。関係がプロファイルされていないのは、parentやchildという指示物が「関係」そのものではなく、「人物」であるからである。しかしこの「関係」はhave a parentやhave a childという複合表現になるとプロファイルがなされるようになる。これらの表現はある時間を通じて静的な状況である関係そのものをプロファイルしている。
参考文献
- Langacker, Ronald W. (1985) Observations and Speculations on Subjectivity. John Haiman (ed.), Iconicity in Syntax, 109-150. John Benjamins.
- Langacker, Ronald W. (1987). Foundations of Cognitive Grammar, Volume I, Theoretical Prerequisites. Stanford, California: Stanford University Press.
- Langacker, Ronald W. (1990). Concept, Image, and Symbol: The Cognitive Basis of Grammar. Berlin & New York: Mouton de Gruyter.
- Langacker, Ronald W. (2008). Cognitive Grammar: A Basic Introduction. Oxford: Oxford University Press.
- Langacker, Ronald W. (2015) Construal. In: Dąbrowska, Ewa and Dagmar Divjak (eds.) Handbook of Cognitive Linguistics, 120–142. Berlin: De Gruyter Mouton.
- 大堀壽夫(2002)『認知言語学』東京:東京大学出版会.
- 田中太一(2026)「認知と心理:客観主義意味論批判に見られる概念的混乱を中心に」 『東京大学言語学論集』 (西村義樹先生退職記念号)48, 225-239.
- 山梨正明『認知構文論-文法のゲシュタルト性』(大修館書店、2009年:ISBN 4469213241)