掛井五郎

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自画像
彫刻作品安曇野と共に

掛井 五郎(かけい ごろう、1930年昭和5年)6月5日 - 2021年令和3年)11月22日)は、日本彫刻家である[1][2]

静岡県に生まれる[1][2]。19歳のときに木内克に師事し、彫刻家を志す。1953年東京藝術大学彫刻科卒業。1957年、第21回新制作協会展にて新作家賞を受賞し、以後団体を退会する2001年まで新制作協会を中心に活動。1962年には青山学院女子短期大学芸術学科の教授、1968年にはベラクルス大学(メキシコ)の客員教授に就任。

彼の作品はユーモアのある作風であり、以降も多くの賞で受賞する。掛井は立体作品を軸に、油彩、ドローイング、エッチングやリトグラフなど幅広いメディウムと技法で自由な制作を続けた作家で日本の戦後の彫刻家としてもその名が知られています。 19歳で東京藝術大学彫刻科へ入学し本格的に彫刻制作と向き合い始めた掛井はアカデミックな技法には飽き足らず、次第に石膏の直づけによって大胆なデフォルメを加えた独自の人体表現を追求するようになります。その後『受胎告知』(1957年)や『処女マリア』(1958年)、『ヨブ』(1961年)、『使徒』(1962年)といった聖書からの主題による作品を多く発表しますが、それは聖書を解釈する手立てとしての意味があっただけでなく、人間存在の本質への思索を表現する行為でもありました。のちの作家人生を通じても彼は制作のモチーフを「人間」にこだわり、独自の具象表現に取り組み続けます。

1960年代末にはメキシコに滞在して教鞭をとり、現地の生活や文化などからさまざまな影響を受けて造形意識を変化させていきます。日本帰国後の掛井の作品には、西洋的理想美の規範から解放されるかのような人体表現や形態の単純化、キリスト教的主題から離れるといった変化が見られます。

1970年代後半から80年代初期に制作された女性像『南アルプス』(1978年)や『安曇野』(1980年)では、ふたたび人物の顔のディテールがあらわれ、身体の量塊やボリュームの表現は実体感にあふれています。泰然と横たわる山脈、あるいはゆるやかに浮遊する雲のようにも見えるそれらの姿は、作家が着想源とした自然風景の豊かさやそこに流れる時間を思わせます。一方、対照的にそぎ落とされた量感表現と、手足を細長く引き伸ばした形態が特徴的な「人間の問題」 晩年に取り組んだブリコラージュ的な作品群やトイレットペーパーの芯でできた紙彫刻の数々は、生涯尽きることのなかった創作のエネルギーと意欲を感じさせます。

晩年は全国の展示場や美術館にて掛井の作品の個展開催のために長男の掛井隆夫らが一般財団法人掛井五郎財団を設立し、死去後も度々展覧会が開催されている。

タカ・イシイギャラリーと専属契約を結び海外のアートフェアーにも作品を多数出展し、2023年にはニューヨーク Kaufmann Repetto にて海外では初の個展が開催されました。

一般財団法人掛井五郎財団は、掛井五郎が制作した美術品を保管・収集し、適正な管理保護を行うとともに、調査研究、展覧会等への出品または貸与等を行い、掛井五郎作品とその思想の普及並びに、次世代への円滑な事業継承することを目的としています。

受賞歴

作品

脚注

外部リンク

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