摂津糸千代丸 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 室町時代生誕 天文22年(1553年)死没 永禄8年5月19日(1565年6月17日)主君 足利義輝 凡例摂津 糸千代丸時代 室町時代生誕 天文22年(1553年)死没 永禄8年5月19日(1565年6月17日)主君 足利義輝氏族 摂津氏父母 父:摂津晴門テンプレートを表示 摂津 糸千代丸(せっつ いとちよまる、天文22年(1553年) - 永禄8年5月19日(1565年6月17日))は、室町幕府13代将軍・足利義輝の家臣。 三好三人衆によって企てられた永禄の変の際、主君である義輝と共に討たれた[1]。 糸千代丸は幼名であり、13歳で死去[2]したため、元服前であったと考えられている。 父である摂津晴門も政所執事として義輝に仕えていたものの、永禄の変に巻き込まれることはなく、後に15代将軍・足利義昭の政所執事として再度起用されている。ただ、晴門の子は糸千代丸だけであったようで、摂津氏嫡流は糸千代丸で断絶することになった[注釈 1]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 木下昌規によれば、摂津晴門は元亀2年(1571年)以降、記録に登場せず、代わりに伊勢貞興が政所執事に任ぜられていることから、同年に死去もしくは引退したとする[3]。その後、木下聡が元亀3年(1572年)に晴門が足利義昭の使者を務めていることを示す『お湯殿の上の日記』の記事を紹介したが、これ以降の記録がないためこの頃に死去した可能性を指摘している[4]。なお、木下聡は摂津晴門が享禄元年(1528年)に従五位下中務大輔に任ぜられていることから、永正年間前半の生まれで元亀年間には60代になっていたと推測しており、糸千代丸は晴門にとっては遅く生まれた子になる。 出典 ↑ 東寺過去帳 ↑ 木下 2018, p. 208. ↑ 木下 2014. ↑ 木下 2018. 参考文献 木下聡「摂津氏」『室町幕府の外様衆と奉公衆』同成社〈同成社中世史選書 24〉、2018年4月。ISBN 978-4-88621-790-5。 木下昌規「京都支配から見る足利義昭期室町幕府と織田権力」『戦国期足利将軍家の権力構造』岩田書院〈中世史研究叢書 27〉、2014年10月。ISBN 9784872948752。 Related Articles