政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件
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発令の経緯
第二次世界大戦が日本の敗北によって終戦し、その後連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領を受けることとなった日本が命じられた、いわゆる「五大改革指令」の一つである。

日本国政府が受諾したポツダム宣言の第10項には「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」と明記[3]されているにも関わらず、1945年9月2日に日本が降伏文書に調印し、GHQによる日本の占領統治が開始されて以降も、依然として治安維持法は廃止されていなかった。日本国政府は、ポツダム宣言からGHQの意図を察していたが、政府関係者は国体護持の観点から共産主義者の取り締まりを譲ることができず、共産主義者をはじめとする政治犯に対する予防拘禁は、終戦後も継続されていた。
しかし、1945年9月26日に政治犯として拘禁されていた三木清が獄中で死亡したことが発覚し、日本では未だに軍国主義体制的な弾圧が行われているとして、世界中が衝撃を受けた。その結果、1945年10月2日に発足した連合国軍最高司令官総司令部は早速政治犯の釈放に向けて動きを開始した。
内務大臣の山崎巌は、ロイターの取材で「共産主義者取り締まりのための治安維持法の廃止を考えていない」と発言し、それがアメリカ陸軍の機関紙に掲載された。GHQの民間情報教育局(CIE)の企画課長であったブラッドフォード・スミスはこの発言に驚き、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーに「政治犯の釈放」を進言するよう、CIE局長のカーミット・リード・ダイクに提案した。
この進言がマッカーサーをどの程度動かしたのかは明らかとなっていないが、1945年10月4日夕刻、政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件が発令された[4]。同日18時、日本国政府はこの指令を接受した。