教海寺
兵庫県三木市細川町脇川にある寺院
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概略

『峰相記』にも記述のある古刹。
寺伝では白雉2年(651年)、法道仙人によって開基された。 延暦14年(795年)、当寺で空海が三年間修行したことから、寺号を「教海寺」とした(空海は一時教海とも名乗っていた)。
中世を通して、坊舍四十八坊寺領の50石があったが、天正8年(1580年)三木合戦の時、兵火によって焼かれ、焼失した。伝承では、三木合戦で籠城中の別所長治軍に教海寺の寺僧は城内の兵を助けるために、米を詰めた竹筒を美嚢川支流の脇川に流し、羽柴秀吉軍の目を盗んで三木城に送ったが、竹筒の栓に、同寺周辺にしかないコウヤマキを使ったため送り主が発覚し、寺は焼き打ちに遭ったとされる[1]。 のち、檀家らの熱心な寄進により、徐々に再建が進み元和元年(1615年)、大師堂が建立された。
当山御詠歌
祈りてし 願ひは満ちて 湧川の 山のこなたに ひびくたきつせ
『脇川山教海寺由緒沿革碑』より
建築物
周辺情報
交通アクセス
参考文献
- 播磨地名研究会編『播磨 山の地名を歩く(姫路文庫8)』神戸新聞総合出版センターISBN 9784343001535 (4343001539)
- 『峰相記』
