敦道親王
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外祖父の兼家に、兄である三条天皇に次いで寵愛された。正暦4年(993年)に元服し、加冠を左大臣源雅信、理髪を参議藤原公任が務める[2]、のちに帥宮(そちのみや)と称された。最初は2歳ほど年下の関白藤原道隆の三女・藤原頼子(三の御方)を正妃とするが、道隆の死後に頼子が不安のあまり気が狂ったこともあり離婚した。その後、藤原済時の次女を正妃とする。
兄・為尊親王の死から1年後の長保5年(1003年)、彼の生前の交際相手である3歳ほど年上の和泉式部と恋愛関係となり、同年12月18日より和泉式部を召人として邸に住まわせたことから、正妃である済時の次女の怒りを買い、のちに離婚する。寛弘3年(1006年)ごろ、和泉式部との間に男子(岩蔵の宮:後に出家して永覚と名乗る)を儲けるも、間もなく為尊親王同様に若くして薨去した。
超子の弟である藤原道長は、父・兼家が親王を可愛がっていたことを思い出して、兼家ゆかりの法興院において親王の七七日の法要を行わせたという[3]。