新島淳良
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東京生まれ。府立一中を経て、1948年第一高等学校文科中退、1953年日中学院講師、1959年東京都立大学非常勤講師、1960年早稲田大学専任講師、中国研究所所員(後に理事)、東京大学非常勤講師、1963年早稲田大学助教授、1968年早稲田大学政経学部教授。
「中国の教育」「現代中国の革命認識」など中国関係の著作を次々に発表。
「中国の会」は、尾崎秀樹が普通社主宰で1960年ごろに立ち上げ、野原四郎、竹内好、橋川文三、安藤彦太郎、新島、今井清一らをメンバーとした[1]。
文化大革命(文革)では「毛沢東の思想」「新しき革命」を著わして支持の姿勢を示し、中国研究所を離れる。1971年山岸会のヤマギシズムに共鳴、1973年早稲田大学教授を辞めて三重県に移住。1978年山岸会を脱会し、中国語・哲学関係の新島私塾を創立。のち再び戻り、晩年は出版事業などに従事した。ミニコミ紙「緑のふるさと」、個人通信「墳」を発行。他の著書に「論語―全訳と吟味」など。
中国で文革に対して否定的な見解が主流になってから、過去の礼賛について釈明を行わないまま文革を批判した。