新知郡
From Wikipedia, the free encyclopedia
郡域
沿革
- 明治9年(1876年)1月14日 - 新知郡が設置され、千島国の所属となる[2]。
- 明治10年(1877年) - 条約附録に従い、新知島にあった千島アイヌの村落がロシア領に移転し、郡内は無人となる[3]。
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての新知郡が発足。
- 明治13年(1880年)7月 - 根室郡外八郡役所(根室花咲野付標津目梨国後得撫新知占守郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により根室県の管轄となる。
- 明治18年(1885年)1月 - 根室郡外九郡役所(根室花咲野付標津目梨国後得撫新知占守色丹郡役所)の管轄となる。
- 明治19年(1886年)
- 明治30年(1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、根室支庁の管轄となる。
- 大正5年(1916年)ラッコ、オットセイの狩猟が禁止され、農水省による越年が得撫郡と併せて6ヶ所13人で開始[4]。
- 昭和15年(1940年) - このころ松輪島南東部に海軍飛行場の建設が始まる。
- 昭和19年(1944年) - 松輪島の守備隊が増強され、天蓋山の司令部のもと最大7 - 8千名が駐屯。大部分は翌年に内地転用となり、移動中に撃沈される例が相次いだ[5]。また、国勢調査の人口に、守備隊は含まれていない。
- 昭和20年(1945年)9月2日 - 日本政府が降伏文書に調印、同時に一般命令第1号により、ソ連占領下となる。
- 昭和21年(1946年)
- 昭和27年(1952年)4月28日 - 日本政府がサンフランシスコ講和条約により領有権を放棄。
- 平成22年(2010年)4月1日 - 「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例(平成21年3月31日公布)」[6]が施行。旧条例である北海道支庁設置条例(昭和23年9月27日 条例第44号)は、根室支庁の管轄区域を「野付郡、標津郡、目梨郡、国後郡、色丹郡、択捉郡、紗那郡、蘂取郡、得撫郡、新知郡、占守郡」としていたが、北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例は、根室振興局の管轄区域を「別海町、中標津町、標津町、羅臼町、色丹村、国後郡泊村、留夜別村、留別村、紗那村、蘂取村」とした。また「財務省組織規則の一部を改正する省令(平成21年10月26日 財務省令第67号)」[7]による財務省組織規則の改正(税務署の管轄区域を定める別表第九から除外)された。これらの改正により法令上も消滅[8]。
