新知島

千島列島にある島 From Wikipedia, the free encyclopedia

新知島(しむしるとう、しんしるとう)は千島列島の中部にある火山島。ロシア名はシムシル島о.Симушир)、英語表記はSimushir

座標 北緯46度58分00秒 東経152度2分00秒
最高標高 1,540 m
概要 新知島, 所在地 ...
新知島
新知島
所在地 帰属未定
実効支配ロシアの旗 ロシア
サハリン州クリル管区
座標 北緯46度58分00秒 東経152度2分00秒
面積 227.6[注釈 1] km2
最高標高 1,540 m
最高峰 新知岳
千島列島における位置
プロジェクト 地形
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羅処和島摺手岩宇志知島計吐夷島新知島1954年=昭和29年)
昭和29年の新知島(南部、1954年)

島の名前の由来は、アイヌ語の「シ・モシリ(大きい・島→大きい島)」から。

地理

長さは 59 kmで、幅はおよそ 13 kmほど。面積は 227.6 km2。細長い島は個性的な火山の列で構成されている。北東部には幅 7.5 kmの半分海没したカルデラ湖武魯頓湾ぶろとんわん[4]: Brouton Bay[注釈 2])がある。北側は新知海峡と通じているが、深さは2.5 m程度しかなく、かつて掘削が提唱されたが一度も行われなかった。反対に、湾の中の深さは最大240 mに達する。なお、本島は冬になると北西の風が頻繁に吹くため、武魯頓湾は船舶にとって絶好の避難所になる。

新知島の地図

かつて、ソ連海軍潜水艦艦隊の秘密基地があった。1987年に建設されたものの、1994年に放棄されている。その潜水艦基地の跡地は今でも衛星写真ではっきり見ることができる[5]

北から順に次の山が並ぶ。

  • 三日月山(みかづきやま、海抜 676 m
島の北部、武魯頓湾の南寄りに位置する山。
  • 新知富士(しむしるふじ、海抜 1,360 m[6]、ロシア名:プレヴォ山 Прево、英名: Prevo
島の中部に位置し、1825年から25年前後に一度噴火している最も活発な火山。「富士」を冠してあるだけあり、どの位置から見ても美しく見えるのが特徴。
  • 緑湖カルデラ(みどりこかるでら、海抜 624 m[7]、ロシア名:ザヴァリツキ・カルデラ Zavaritzki
島の中南部に位置する三重カルデラで、中央に濃青緑色の水をたたえる緑湖(カルデラ湖)がある。この湖は東西約2 km、南北約3 kmである。南側に温水が湧いているため、冬でも全面が凍結しない。また、かつて北側には陸続きの小島があったとみられる。北半球の年間平均気温は、1831年に起こった火山の大噴火によって約1度低下したと分かってはいたが、2006年発表の論文[8]によると、その火山はこの新知富士であり[9]、気温低下の原因は大量に放出された二酸化硫黄成層圏に滞留したためと推定された[10][11]
  • 新知岳(しむしるだけ、海抜 1,540 m[12]、ロシア名:ミリン山 Мильна: Milne
島の西南部に位置する最高峰。1881年、1914年に大噴火があったとされる。
  • 焼山(やけやま、海抜 891 m[13]、ロシア名:ゴリアシャイア・ソプカ Goriaschaia Sopka
島の西南部、新知岳の北西に位置する。複数の火山が合わさった成層火山である。
新知島の武魯頓湾に面した、旧ソ連軍基地の廃墟

島のほとんどは針葉樹林に覆われている。国境警備隊が駐屯したが建物は放棄され、現在は無人島である。

歴史

新知島の中心部には新知(しむしる、しんしる)集落に置かれていたが、この集落に定住者はいなかった。また、戦前にはキツネトナカイが養殖されており、1945年までは捕鯨基地があった。
  • 1920年、6月に武魯頓湾で地震発生[18]
  • 1923年には松輪島が噴火[18]
  • 1931年(昭和6年)- 北太平洋航路調査を行っていたチャールズ・リンドバーグ夫妻の機体が新知島#計吐夷島の南東海面に不時着[19]。新知島に常駐していた農林省の船が救援に向かい、武魯頓湾に移動させて修理が行われた[20]
  • 1945年(昭和20年)、8月、ソビエト連合軍が上陸し占領する。しかし、この島は日本からアメリカ東海岸への大圏航空路上に位置しているため、米国はソ連に対し、米軍基地設置を認めるよう要求。しかしスターリンは拒否。日本が降伏した9月2日に出された一般命令第1号により、ソ連占領地とされた。
  • 1946年(昭和21年)、GHQ指令により、日本の施政権が正式に停止される。直後に、ソ連が領有を宣言する。
  • 1952年(昭和27年)、サンフランシスコ平和条約を結んだ日本は領有権を放棄する[21]が、ソ連は調印しなかった。以後、日本は千島列島の帰属は未確定と主張する[22][23][24][25]
  • 1991年(平成3年)、ソ連が崩壊した後に成立したロシア連邦が実効支配を継承。
  • 2002年(平成14年)、ロシアが核燃料の最終処分場を新知島に設ける構想が浮上するが、環境や費用の面から頓挫に終わる。

現在(2024年時点)はロシア連邦実効支配下にあるが、日本政府は国際法上は帰属未定地であると主張し、解決に向けた取り組みがある[28]

その他

1924年から1926年礼文島に移植したベニギツネがエキノコックス症感染源になった[29]

参考文献

  • 『近代北千島列島誌』 上巻、2001年、29-31頁。[出典無効]
  • 昭和ニュース事典編纂委員会 編「千島の無人島沖合に不時着『大阪毎日新聞』」『昭和ニュース事典』 第3巻《昭和6年-昭和7年 本編》、毎日コミュニケーションズ、1994年、759頁。
    • 『東京朝日新聞』昭和6年8月22日(『昭和ニュース事典第3巻 昭和6年-昭和7年』本編p760

脚注

関連項目

外部リンク

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