宮崎県西都市にある都萬神社の宮司家や、その周辺の荘園を管理したのは、日下部氏である。この日下部氏の系図には、日下部三中という人物が登場する。この「三中」は『万葉集』に「桜花 今さかりなり おしてるや なにはの浦に 物まうすなへ」という歌が収録されたする。しかし、『万葉集』にあるように、三中は上総国の人間であり、上記の歌は、大伴家持の「桜花 今盛りなり 難波の海 押し照る宮に 聞こしめすなへ」という歌の改変である。つまり、日向の日下部氏は、自身の先祖と無関係の三中を系図に取り込んでいる。このことについて、西都市史編纂委員会は、日向の日下部氏が『万葉集』に歌を選ばれた三中を日下部氏の誇りとしていたために系図に取り込まれたのだとしている[2]。