日吉稔
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来歴
1978年の東北クラシックでは初日に最大瞬間風速18.2mの強風に苦しみながら、草壁政治・岩下吉久・安田春雄・松井利樹と並んでの5位タイでスタートした[1]。
1978年の関東オープンでは初日に上原宏一・浅井教司・山本謙太郎・謝敏男(
中華民国)・川田時志春・関水利晃・草壁・海老原清治・江原利次・森憲二・高井吉春・鳥沢利一・石井冨士夫と並んでの10位タイ[2]でスタートし、2日目には69をマークして2位タイ[3]に浮上。3日目には日吉定雄・浅井・謝永郁(中華民国)と並んでの3位タイ[4]とし、最終日には9番でイーグルを取り、14番で3アンダーとなって単独首位に立ったが、18番で1m足らずのバーディーパットを逃して謝敏・金井清一に並ばれる[5]。サドンデス・プレーオフでは第一打を大きく左に引っ掛け[5]、いきなりOBを出してダブルボギーで姿を消し、謝敏と並んで金井の2位タイ[6] [7]に終わる。
1978年の産報クラシックでは初日に5アンダー67をマークし、上原・陳健忠(中華民国)と並んでの5位タイでスタートした[8]。
1979年の日本国土計画サマーズでは3日目に7アンダー290で三上法夫と共に首位タイ[9]に浮上したが、最終日には74と崩れ、森・吉川一雄の追い上げを許し4位に終わった[10]。
1979年のブリヂストントーナメントでは初日を青木功・中嶋常幸・鈴木規夫・天野勝・内田繁・井上久雄・村上渉と並んでの9位タイ[11]でスタートし、1986年のNST新潟オープン[12]を最後にレギュラーツアーから引退。