日和田館
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城郭構造
平山城
天守構造
なし
築城主
安積伊東氏
主な城主
安積伊東氏
(福島県) | |
|---|---|
| 城郭構造 | 平山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 安積伊東氏 |
| 主な城主 | 安積伊東氏 |
| 遺構 | 堀、土塁 |
| 指定文化財 | なし |
| 位置 | 北緯37度26分55秒 東経140度23分11秒 / 北緯37.44861度 東経140.38639度座標: 北緯37度26分55秒 東経140度23分11秒 / 北緯37.44861度 東経140.38639度 |
| 地図 | |
築城の時期ははっきりしないが、戦国時代に安積郡付近を治めていた安積伊東氏が、それまで西に約900mほどの平地にあった日和田古館の機能を守りやすい丘陵地に移すために築城したと考えられる[1][2]。
1582年(天正10年)、畠山義国が当時は田村氏支配下の高倉城をめぐって田村氏と争い、敗れた田村方についていた城主の安積左衛門が畠山氏傘下に入ったという記録が江戸時代中期の歴史書『奥陽仙道表鑑』に残る。その後の1590年(天正18年)、この地が蒲生氏支配下に入ると安積左衛門は浪人となったと伝えられる[3]。
現在は福島県道357号岩根日和田線沿いの丘に土塁や堀、土橋などの跡とみられる地形が残っている他、北西に約200mほどの館集会所付近には、城主の安積左衛門の墓が残されている。
