彦坐王
日本の皇族。開化天皇の第三皇子。
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系譜

『日本書紀』開化天皇紀によれば、第9代開化天皇と、和珥臣(和珥氏)遠祖の姥津命の妹の姥津媛(ははつひめのみこと)との間に生まれた皇子である[1]。同書における子女に関する記載は、垂仁天皇紀において丹波道主命が子である旨のみである(ただし丹波道主命は彦湯産隅王の子という異伝も併記)。
『古事記』では、開化天皇と丸邇臣(和珥臣に同じ)祖の日子国意祁都命の妹の意祁都比売命(おけつひめのみこと)との間に生まれた第三皇子とする[1]。続けて、王の子女に関して次のように記載する(表記は『古事記』を第一とし、括弧内に『日本書紀』ほかを記載)。
記録
伝承
草岡神社
滋賀県長浜市余呉町国安にある近江国式内社草岡神社の社伝によると、第9代開化天皇の第3皇子、彦坐王が当地に降臨し、余呉の庄の開発並びに郷民を愛撫し、産殖に治水事業に努められた。御在世中に弟にあたる崇神天皇が行幸されている。彦坐王命は国安姫命を入輿し、その皇子廉彦王命は池原姫を娶り、その又皇子、彦理王命は夜叉池村より伊加津女命を入輿した。この間300年以上にわたり草岡郷を治めた。彦坐王命の薨去後は恩寵を敬慕し、本社に霊を祀ったとされる。その後、仲哀天皇が角鹿に行幸の際、当社に参拝を行い、武内宿禰に言上し、北国街道の当社正面にあたる現在の今市郷に三畝歩の地を賜り、ここを遙拝所と定め、木造の鳥居を建立されたとされる[3]。
墓
後裔
氏族
前述のように『古事記』では、伊勢之品遅部君・伊勢之佐那造・比売陀君・当麻勾君・佐佐君・日下部連・葛野之別・近淡海蚊野之別・若狭之耳別・三川之穂別・近淡海之安直・長幡部連・吉備品遅君・針間阿宗君ら諸氏族の祖であると記されている。
また『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。
- 左京皇別 治田連 - 開化天皇皇子の彦坐命の後。続けて、四世孫の彦□命が征北夷に功があり近江国浅井郡の地を賜り、子孫が治田連を賜ったと記す。
- 左京皇別 軽我孫 - 治田連同氏。彦坐命の後。続けて、四世孫の白髪王が阿比古姓を賜り、のち軽我孫姓を負ったと記す。
- 左京皇別 鴨県主 - 治田連同祖。彦坐命の後。
- 右京皇別 大私部 - 開化天皇皇子の彦坐命の後。
- 山城国皇別 日下部宿禰 - 開化天皇皇子の彦坐命の後。
- 山城国皇別 軽我孫公 - 治田連同祖。彦坐命の後。
- 山城国皇別 堅井公 - 彦坐命の後。
- 山城国皇別 別公 - 同上。
- 大和国皇別 川俣公 - 日下部宿禰同祖。彦坐命の後。
- 摂津国皇別 日下部宿禰 - 出自は開化天皇皇子の彦坐命。
- 摂津国皇別 依羅宿禰 - 日下部宿禰同祖。彦坐命の後。
- 摂津国皇別 鴨君 - 同前氏。
- 河内国皇別 日下部連 - 彦坐命の子の狭穂彦命の後。
- 河内国皇別 川俣公 - 日下部連同祖。彦坐命の後。
- 河内国皇別 豊階公 - 川俣公同祖。彦坐命の子の沢道彦命の後。
- 和泉国皇別 日下部首 - 日下部宿禰同祖。彦坐命の後。
- 和泉国皇別 日下部 - 日下部首同祖。
国造
前述のように『古事記』では、甲斐国造(のちの甲斐国の範囲[5])、本巣国造(のちの美濃国本巣郡の範囲[6])、多遅摩国造(但遅麻国造)の祖であると記されている。