日本のペイントボール
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日本のペイントボール(にっぽんのペイントボール)では日本国内におけるペイントボールの現状を解説する。
歴史
- 1985年、ミリタリー専門誌『コンバットマガジン』でイチロー・ナガタが炭酸ガス使用のペイントボールを紹介した。
- 1992年、『コンバット・マガジン』でサバイバルゲームチームであるニンジャが米国でのペイントボールを体験した事が掲載された。
- 1993年、エアソフトガン・製造販売メーカーの「アサヒ・ファイアーアームズ」の社員である松村(Hiro)が渡米し米国でのペイントボール・ゴーグル・メーカーのJTUSA社を訪れ、同社との輸入・販売契約。またアジア全域で初めてNPPL(ナショナル・プロフェッショナル・ペイントボール・リーグ)のトーナメントに出場。
- 1994年、松村(Hiro)が「JPPL」というチーム名でNPPLのサンディエゴ・オープン(米国・サンディエゴ)に出場。
- 1995年、日本及び全アジアで初のペイントボール・トーナメント・チームである「ファー・イースト・ドラゴンズ」が東京都の在日米軍施設内で結成され松村がキャプテンを勤めた。
- 1995年10月のNPPLワールドカップ(米国・フロリダオーランド)に「ファー・イースト・ドラゴンズ」が出場。
- その際のメンバーは日米韓混合で10名。(1995年当時はNPPLトーナメントは10名もしくは5名で1チームと見なされた。)

1995年、NPPLワールドカップ(オーランド・フロリダ)でのFAR EAST DRAGONS 公式写真。 - 1995年、世界的にはそれ迄の炭酸ガスから圧搾空気へのパワーソースの転換期となりレギュレーターによる圧力調整が可能になった。これに対応したのは日本国内では前述の「ファー・イースト・ドラゴンズ」のみ。
1996年、NPPL シカゴ・トーナメントでFAR EAST DRAGONSがスポーツマンシップ・アワードを受賞。

黎明期に活動した人物
- 代表的な日本のペイントボール・トーナメント・チームであった「ファー・イースト・ドラゴンズ」のメンバーは、キャプテンに松村(Hiro)(韓国籍)、サブキャプテンにDennis(米国人)、以下、吉村(Yoshi)、ナベ(Nabe)、トシ(Toshi)、セキ(Seki)、チャーリー(Chalie)、Nuey(米国人)、Craig(米国人)、Marck(米国人)の10名であった。これはYouTube動画 https://www.youtube.com/watch?v=PjK-isj0joU https://www.youtube.com/watch?v=1pFG82qIdMU https://www.youtube.com/watch?v=I6pgfvPeLmc に依り確認出来る。
- 1996年、NPPLのシカゴ・オープン・トーナメントに「ファー・イースト・ドラゴンズ」が出場。「Sportsmanship Award」を受賞1996年NPPL FAR EAST DRAGONSがシカゴ・トーナメントでSportsmanship Award を受賞した。

- 上記のメンバー以外にも在籍しているチームメンバーがあり、トーナメントに参加できるメンバーでその都度チームを編成していた。
日本でのペイントボール発祥の地
- 東京都稲城市の「多摩ヒルズ」内フィールド(現在はTamattack Paintball)
- 沖縄県嘉手納基地内フィールド(以上、米国領)
- 静岡県(DIABLO TOKAI PAINTBALL)

