稲城市

東京都の市 From Wikipedia, the free encyclopedia

稲城市(いなぎし)は、東京都多摩地域南部に位置する

日本の旗 日本
都道府県 東京都
概要 いなぎし 稲城市, 国 ...
いなぎし ウィキデータを編集
稲城市
稲城市旗 稲城市章
1967年10月14日制定[1]
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
市町村コード 13225-0
法人番号 2000020132250 ウィキデータを編集
面積 17.97km2
総人口 95,901[編集]
推計人口、2026年7月1日)
人口密度 5,337人/km2
隣接自治体 調布市府中市多摩市
神奈川県川崎市
市の木 イチョウ[1]
市の花 ナシ[1]
市の鳥 チョウゲンボウ[1]
稲城市役所
市長 高橋勝浩
所在地 206-8601
東京都稲城市東長沼2111番地
北緯35度38分17秒 東経139度30分16秒
稲城市役所
市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

稲城市位置図

― 区 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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人口は約9.5万人。日本住宅公団(現在の独立行政法人都市再生機構)による1970年代以降の多摩ニュータウン建設や京王相模原線および小田急多摩線の沿線開発に伴い、多摩川流域の既存住宅地と合わせた人口が急増した。

多摩地域でも最も治安の良い市の一つとされており、1995年度都市景観100選地区大賞には多摩ニュータウンのファインヒル向陽台が選出されている。

東京都の住宅街で大賞を受賞したのは、大田区田園調布と稲城市向陽台地区のみである。

2026年には市制施行55周年を迎え、各種記念事業が実施されている。[2]

地理

東京都心から西南に約25km多摩川右岸に位置し、市内大丸にて取水した大丸用水が東部を潤し、東西方向に三沢川が横断する。多摩丘陵の北東部に位置し、現在は多くが住宅地となっているが、古くから谷戸地形を活かした農業が営まれており、森林も比較的多く残っている。他の東京都の多摩地区の自治体よりも神奈川県川崎市などとの繋がりが強い。

市域は「勾玉」の形をしており、よみうりランド内の一部が飛地となっている。

1990年1月15日、よみうりランド観覧車から見た京王よみうりランド駅と稲城市街

地形

大まかに分けると多摩丘陵と多摩川周辺の沖積地の二つとなり、多摩周辺の沖積地(平地)が北部、多摩丘陵が南部を形成する。また多摩川支流の三沢川が、多摩丘陵部を北西と南西に分ける形で流れる。

多摩川沿いにはJR南武線矢野口駅稲城長沼駅南多摩駅の3つ、三沢川沿いには京王相模原線京王よみうりランド駅稲城駅の2つがあり、南部の川崎市麻生区と接するところに若葉台駅がある。

三沢川にほぼ平行して建設された鶴川街道を北上すると稲城大橋があり、中央道に続く稲城大橋が多摩南部と多摩北部のパイプ的役割を果たしている。

地質

稲城には、坂浜や平尾の丘陵地や台地に関東ローム層が堆積しており、その中の立川ロームという層位から14か所の旧石器時代遺跡が発見されている。大丸には奈良時代の遺跡・瓦谷戸窯跡(東京都指定旧跡)がある。

市域の概要

東・北部

多摩川と多摩丘陵南山(みなみやま)と呼ばれる)に挟まれた地域。南武線川崎街道南多摩尾根幹線鶴川街道)、京王相模原線が横断し、市の中心部を形成する。もともとは多摩川の氾濫原であり、平坦な地形である。南山の裾には川崎市麻生区黒川を水源とする三沢川が流れている。古代から稲作が行われてきた地域で、江戸期には大丸用水が開削されている。大丸から多摩市連光寺に通じる斜面では奈良時代武蔵国分寺に使用する瓦を焼いており、窯跡が発掘されている(瓦谷戸窯跡)。鶴川街道の拡張など急速に宅地開発が進んでいるが、広々とした敷地に古格のある土蔵が建っている古くからの農家もまだまだ残っている。

市内の多摩丘陵は南山(みなみやま)と呼ばれ、新宿から30分という近さにもかかわらず、タヌキやオオタカなど豊かな自然が残る里山として知られている。南山東部地区では多摩都市計画事業稲城南山東部土地区画整理事業が進められており、都市計画道路や住宅地、公園などの整備が進められている。

稲城市東部・西部遠景。手前から矢野口、大丸、向陽台。右手が東長沼。
1990年12月、百村から見た稲城駅、よみうりランド方向
1990年12月、百村から見た稲城駅、よみうりランド方向2
一部が神奈川県川崎市多摩区菅仙谷への飛び地となっている。
近世には長沼村と呼ばれていた。明治になって南多摩郡が設置された時、郡内に位置する現在の八王子市長沼町も「長沼」という地名であったため、東にある長沼ということで東長沼と改称された[3]
地区内では、稲城南山東部土地区画整理事業が施行されている。

西部

若葉台の街並み

多摩ニュータウンの東端となる地域である。向陽台は最も早く開発された地域で、駅からの距離は若干遠いものの、中央図書館、市立病院、中央公園などの主要インフラが隣接しており、戸建てと集合住宅の高低差を意識した街造りが評価されて1995年度に都市景観100選大賞を受賞している。長峰は向陽台と若葉台の間の地域である。若葉台は近年急速に開発が進んだ地域で、大型マンションやショッピングセンターが次々に建設されており、ファミリー層が増加している。若葉台は稲城市の中でも独特の土地で、黒川・はるひ野や多摩市聖ヶ丘永山など、市外との結びつきが強い。

南部

坂浜は三沢川沿いの狭隘な地域であるが、比較的古くから人間が住んだ地域であり、稲城市郷土資料室にはこの地域の江戸時代の様子を復元した大型の立体模型が展示されている。三沢川に流れ込む支流が形成した数多くの谷戸で農業が営まれているが、若葉台側の谷戸は急速な宅地化が進んでいる。南側の斜面には駒沢女子大がある。平尾は坂浜から南に高勝寺坂・天神坂を越えた地域で、川崎市麻生区、特に新百合ヶ丘との結びつきが強い。なお平尾には都内で唯一の「十三塚」である平尾十三塚や、平尾入定塚平尾原経塚などの信仰系遺跡が残っている[4]

隣接している自治体・行政区

歴史

旧石器時代

現在稲城市がある地域は比較的古くから人間が住んだ土地であり、旧石器時代遺跡も多数確認されている。それらの多くは、数点の石器が出土しただけの小規模な遺跡で、約2万年前から1万3千年前のものと考えられている。出土した遺物のほとんどすべてが尖頭器(せんとうき)、細石器(さいせっき)、ナイフ形石器などの石器である。当時の人々はこれらの石器を使い、オオツノジカ、野牛、ナウマン象などの大型獣を追って、丘陵のなかを移動しながら狩猟活動を中心とした生活をしていたと考えられる。

縄文時代

市内最大の縄文遺跡は多摩ニュータウンNo.471・473遺跡(現在の稲城第4公園付近)で、縄文中期の住居跡が数十箇所発見されている。しかし縄文後期に入ると気候の寒冷化や富士山の噴火による降灰によって、市域は縄文人の生活に適さない地域になったと考えられており、この時期以降の遺跡の数は激減している。

弥生時代

弥生時代の遺跡は少なく、集落遺跡は平尾台原遺跡のみである。この遺跡では、弥生時代中期と後期、そして後期末から古墳時代前期にかけて三度にわたり集落がつくられ、住居跡22軒、方形周溝墓5基が発見された。この地に最初に米づくりを伝えた弥生時代人は、平尾台原の地を拠点として集落をつくり、活動していたと見られる。

奈良時代

青渭神社(稲城市東長沼)

奈良時代には現在の中央図書館の東側、日帰り温泉施設がある一帯に窯が築かれ、瓦谷戸窯跡や多摩ニュータウンNo.513遺跡(大丸遺跡)で須恵器武蔵国府武蔵国分寺の瓦を焼いていたことが判っている[5]。また市内には式内古社あるいは式内古社論社が三つ存在しており(青渭神社大麻止乃豆乃天神社および穴澤天神社)、古墳時代以降に再びこの地域に一定規模の集落が存在したことをうかがわせる。

平安時代

平安末期には現在の市域は小沢郷に含まれ、武蔵七党のうち秩父党に属する小山田氏の支配となった。小山田氏は官牧の小山田牧が私有化された小山田荘(現在の町田市)を所有した豪族であるが、後に稲毛氏と名乗り、鎌倉幕府の有力御家人となる。

鎌倉時代

稲毛氏は鎌倉時代も引き続き武蔵国小沢郷(現在の大丸から矢野口)を所有した。しかし北条時政執権の時、稲毛重成・小沢重政の父子は畠山重忠とともに滅ぼされている。その後、小沢郷は、重成の妻が北条政子の妹だった縁で北条氏の支配下に入ったと考えられている。またこのころ、大丸遺跡には砦(大丸城)が築かれていた。14世紀には現在の坂浜地区に高勝寺が創建されているが、この寺に所蔵されている聖観音像(もとは同じ坂浜の妙福廃寺のもの)は12世紀半ばの制作と推定されている。また東長沼の常楽寺は寺伝では行基の開基とされているが、少なくとも本尊の阿弥陀如来像は12世紀前半まで遡るものと考えられている。

南北朝時代

南北朝期には市域も足利尊氏足利直義の戦闘の舞台となり、穴澤天神社の南にある小沢城が尊氏側の部隊によって焼き払われている。この時期の小沢郷は摂津親秀を当主とする摂津氏が所有していたが、親秀の孫の満親は小沢郷を京都の南禅寺に寄進してしまう。その後の小沢郷の消息は文献上はしばらくたどれない。

戦国時代

次に小沢郷が文献に登場するのは戦国時代である。小沢城は世田谷城などとともに、後北条氏の支配下にあり、1530年享禄3年)には上杉朝興の部隊に攻め落とされるなど、最前線の軍事拠点となっていたことがわかる。後北条氏の家臣団で小沢郷を与えられていたのは垪和氏である。北条氏照八王子城で戦死し後北条氏が滅亡すると、氏照に従っていた市域の武士たちは帰農したり、あるいは徳川家に仕えて旗本となったと考えられている。例えば坂浜に在住した冨永家は後北条氏に仕えた後、徳川家の旗本になったとされている。

なおこの時代の平尾地区では、天文5年8月15日(1536年8月31日)に長信という僧侶を造って内部に籠り入定を遂げたことが解っている(平尾入定塚)。

江戸時代

江戸期には大丸村、長沼村、押立村、矢野口村、百村、坂浜村、平尾村の6つの村落が点在していたことが、弘化2年(1845年)に制作された『調布玉川惣画図』などから確認出来る。これらの村は現在では「稲城市域六ケ村」と呼ばれている。ただし、この時代までは稲城という地名も存在せず、また現在の稲城市域に地域としての一体性も存在していなかった。

なお、それぞれの村の支配体制であるが、大丸と長沼は旗本の朝倉氏、百村は同じく坪内氏。矢野口は加藤氏と中根氏が支配した後、18世紀半ばに幕府直轄領となる。平尾も18世紀半ばまで黒沢氏で、その後は幕府直轄領。坂浜は天野氏。ただし新田は全て幕府直轄領だった。

この時代の平尾地区では、宝永5年(1708年)に経塚が築造されている(平尾原経塚)。同地区内にある十三塚平尾十三塚)は築造年代不明である。

明治時代・稲城村の誕生

この地域が地域としての一体性を持ったのは稲城村の成立をもって嚆矢とする。稲城という地名も稲城村の成立時に考案されたものである。その由来ははっきりしない。最も有力な説によれば、稲城村の母体となった東長沼外五か村連合の戸長であり、後に初代の村長となった森清之助が、域内で私塾「奚疑塾」を主宰していた漢学者窪全亮に諮問した結果であるという。この地域が中世に稲毛氏の所領だったことや、かつては良質の米を産したこと、域内にいくつもの山城跡が存在することなどから、「いなげ」に通じる名前として「稲城」が考案されたのではないかと推測されている。

市制施行まで

  • 1889年明治22年)4月1日 - 矢野口・東長沼・大丸・百村・平尾・坂浜の各村が合併し、神奈川県南多摩郡稲城村の成立(町村制の施行)。人口3,750人、戸数593戸。
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 東京府南多摩郡稲城村(三多摩の東京府移管)。
  • 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。
  • 1949年昭和24年)9月1日 - 北多摩郡多磨村(現府中市)から押立・常久の一部(多摩川右岸部出作地)を編入[6]
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 町制施行。東京都南多摩郡稲城町[7]となる。
  • 1967年(昭和42年)10月14日 - 現在の市章となる町章を制定する[8][9]
  • 1971年(昭和46年)11月1日 - 市制施行。東京都稲城市[10]となる。なお、隣接している南多摩郡多摩町(現多摩市)も同時に市制施行したため、南多摩郡は消滅した。

市制施行後

多摩ニュータウン開発

三沢川分水路入り口(稲城市坂浜)

もともと稲城は多摩ニュータウン計画の範囲外であり、1956年施行の首都圏整備法では、稲城村域はグリーンベルトとして農村を残す予定だった。しかし稲城村議会は、開発から取り残されることを懸念して全会一致でこの構想への反対を決議。1965年の同法改正でグリーンベルト構想は撤回され、稲城村域も多摩ニュータウン計画に組み込まれたという経緯がある。

1990年12月、尾根幹線道路完成前の向陽台近辺

1971年に建設大臣の事業承認が下りたものの、稲城市域の多摩ニュータウン開発は、用地買収の難航とニュータウン区域の雨水排水問題のために遅々として進捗しなくなる。前者は用地転売益を狙った民間企業が土地を買い漁ろうとしたために、市域の地価が吊り上がったという経緯がある。後者は、ニュータウン区域の雨水を三沢川に排出する場合には三沢川の大規模改修が必須となるものの、三沢川は上流域と下流域が神奈川県川崎市であり、川崎市が三沢川改修費用負担を拒否したこと、三沢川周辺は宅地化が進んでおり、立ち退き費用が巨額に上ることから、事業費用が膨らむことが問題となった。

結局、雨水排水の問題は三沢川中流域からトンネルを掘削して、ニュータウン区域の雨水を多摩川に直接落とす「三沢川分水路」のアイデアが生まれるまで、解決不能の難題となった。なお三沢川分水路は1986年に完成しており、向陽台地区は1987年に分譲開始となる。

開発遅滞のメリット

先行する多摩市域に大幅に遅れて開発が進んだことで、稲城市域の多摩ニュータウン開発は、多摩市域の先行事例の教訓を生かすことが可能になった。具体的には1977年に開始された「多摩ニュータウン環境計画」による先行事例の課題調査の結果を踏まえ、以下のような特徴を持つ地区としてデザインされた。

「緑の環」
稲城市は多摩川から米軍多摩サービス補助施設、多摩カントリークラブ、坂浜・平尾地区、読売カントリークラブ、南山(みなみやま)という緑地帯を市域のグランドデザインに設定していた。稲城市域の多摩ニュータウン計画を立案した日本都市総合研究所はこの「緑の環」構想を生かし、城山公園稲城中央公園、上谷戸公園という大規模な緑地を残したデザインを行った。
生活環境軸
多摩ニュータウンの先行事例は徹底的な歩車分離デザインを採用していた。これは結果的に住民の住みやすさを減じ、ロードサイド店の普及とともに住民流出を招いてしまった。この反省を踏まえ、稲城市域では自家用車の利用にもある程度配慮したデザインが行われた。
カルチャーパス
同じく先行事例では小中学校が町はずれに立地しており、日常生活から分離してしまっているという反省があった。これを踏まえ、稲城市域では街区の中央に小学校や中学校を置き、周囲に歩行者専用道路を張り巡らせるというデザインを採用した。また向陽台地区では、集合住宅のうち、通り沿いの1階部分に店舗用の空間を持つ物件を設定したプラスワン住宅も建設されたが、こちらは目論みが外れ、店舗に活用される事例は全く見られない。

人口

稲城市と全国の年齢別人口分布(2005年) 稲城市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 稲城市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
稲城市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 30,817人
1975年(昭和50年) 43,924人
1980年(昭和55年) 48,154人
1985年(昭和60年) 50,766人
1990年(平成2年) 58,635人
1995年(平成7年) 62,806人
2000年(平成12年) 69,235人
2005年(平成17年) 76,492人
2010年(平成22年) 84,835人
2015年(平成27年) 87,636人
2020年(令和2年) 93,151人
総務省統計局 国勢調査より
  • 世帯数:44,461世帯(2026年6月1日)[12]

昼夜間人口

2020年国勢調査によると、夜間人口(居住者)は93,151人、昼間人口は71,586人であり、昼夜間人口比率は76.8%である。流出人口は39,538人、流入人口は17,973人であり、昼間人口は夜間人口を下回る。[13]

地域

町名

稲城市では、住居表示に関する法律に基づく住居表示は実施されていない(多摩ニュータウン地区などの一部の区域では、町界町名地番整理が実施されている)。

さらに見る 町名, 町区域新設年月日 ...
(23町丁)
町名 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考
矢野口やのくち 1889年4月1日 未実施
東長沼ひがしながぬま 1889年4月1日 未実施
大丸おおまる 1889年4月1日 未実施
百村もむら 1889年4月1日 未実施
坂浜さかはま 1889年4月1日 未実施
平尾ひらお 1889年4月1日 未実施
平尾ひらお一丁目 1990年 未実施[† 1]
平尾二丁目 1990年 未実施[† 1]
平尾三丁目 1990年 未実施[† 1]
押立おしたて 1889年4月1日 未実施
向陽台こうようだい一丁目 1988年3月 未実施[† 1]
向陽台二丁目 1988年3月 未実施[† 1]
向陽台三丁目 1988年3月 未実施[† 1]
向陽台四丁目 1988年3月 未実施[† 1]
向陽台五丁目 1988年3月 未実施[† 1]
向陽台六丁目 1988年3月 未実施[† 1]
長峰ながみね一丁目 1994年3月 未実施[† 1]
長峰二丁目 1994年3月 未実施[† 1]
長峰三丁目 1994年3月 未実施[† 1]
若葉台わかばだい一丁目 1999年3月 未実施[† 1]
若葉台二丁目 1999年3月 未実施[† 1]
若葉台三丁目 1999年3月 未実施[† 1]
若葉台四丁目 1999年3月 未実施[† 1]
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  1. 町界町名地番整理実施区域

住宅団地

平尾団地
  • 平尾住宅
  • 東京都住宅供給公社平尾団地 - 1971年: 多摩都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 稲城団地
  • リベレ向陽台(旧住宅・都市整備公団)キャラクタープラン、1988年
  • 都営向陽台6丁目団地(東京都建築局)円型、高齢者対応、1992年


行政

歴代首長

さらに見る 稲城村長, 氏名 ...
稲城村長
氏名 就任年 退任年 備考
森清之助 1889年6月 1890年1月 稲城初代村長。森円蔵の父。
原田所左衛門 1890年3月 1897年1月
芦川貫一郎 1897年2月 1897年10月 病気の為、退任。
長坂伊三郎 1897年11月 1901年5月
森清之助 1901年6月 1903年2月 2度目
原田所左衛門 1903年4月 1915年11月 2度目、在任中に死去
森円蔵 1916年1月 1923年8月 東京府会議員になった。森一郎の父。
榎本儀兵衛 1924年2月 1935年10月 在任中に死去
井西桑吉 1935年12月 1939年4月
冨永置三 1939年4月 1943年4月
石田益義 1943年5月 1945年5月
森一郎 1945年7月 1946年11月 公職追放令により村長を辞める。
石井平作 1947年4月 1951年4月
森一郎 1951年4月 1957年3月 2度目
稲城町長
氏名 就任年 退任年 備考
森一郎 1957年4月 1963年4月 初代稲城町長。森直兄の父。
高橋昌太郎 1963年5月 1971年4月
森直兄 1971年5月1日 1971年10月31日
稲城市長
氏名 就任年 退任年 備考
森直兄 1971年11月1日 1987年4月16日 初代稲城市長。在任中に死去
山田元 1987年4月26日 1991年4月25日
石川良一 1991年4月26日 2011年4月26日
高橋勝浩 2011年4月27日 現職
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市長

職員

2018年4月1日現在、市の職員数は875人[14]

財政

  • 当初予算規模(2026年度)
    • 477.61億円(一般会計)[15]
    • 199.57億円(特別会計)[15]

議会

稲城市議会

東京都議会

2025年東京都議会議員選挙
  • 選挙区:南多摩選挙区(多摩市、稲城市)
  • 定数:2人
  • 任期:2025年7月23日 - 2029年7月22日
  • 投票日:2025年6月22日
  • 当日有権者数:199,666人
  • 投票率:49.42%
さらに見る 候補者名, 当落 ...
候補者名当落年齢所属党派新旧別得票数
遠藤千尋49都民ファーストの会30,959票
岩佐行浩43無所属26,129票
小礒明73自由民主党16,705票
藤原正範66無所属13,398票
渡辺純平40再生の道10,026票
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2024年東京都議会議員補欠選挙
  • 選挙区:南多摩選挙区(多摩市、稲城市)
  • 定数:1人
  • 投票日:2024年7月7日
  • 当日有権者数:200,400人
  • 投票率:61.22%
さらに見る 候補者名, 当落 ...
候補者名当落年齢所属党派新旧別得票数
遠藤千尋48都民ファーストの会48,018票
岩永久佳47立憲民主党44,748票
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2021年東京都議会議員選挙
  • 選挙区:南多摩選挙区(多摩市、稲城市)
  • 定数:2人
  • 投票日:2021年7月4日
  • 当日有権者数:198,888人
  • 投票率:43.96%
さらに見る 候補者名, 当落 ...
候補者名当落年齢所属党派新旧別得票数備考
石川良一69都民ファーストの会29,233票2024年6月16日に死去
小礒明69自由民主党24,823票
斉藤礼伊奈42立憲民主党20,753票
上杉直41日本共産党11,333票
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2017年東京都議会議員選挙
  • 選挙区:南多摩選挙区(多摩市、稲城市)
  • 定数:2人
  • 投票日:2017年7月2日
  • 当日有権者数:195,071人
  • 投票率:54.20%
さらに見る 候補者名, 当落 ...
候補者名当落年齢所属党派新旧別得票数
斉藤礼伊奈38都民ファーストの会32,525票
石川良一65都民ファーストの会29,269票
小礒明65自由民主党23,162票
菅原重美68日本共産党16,538票
土居範洋35無所属2,946票
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衆議院

  • 選挙区:東京30区府中市多摩市、稲城市)
  • 任期:2024年10月27日 - 2028年10月26日
  • 投票日:2024年10月27日
  • 当日有権者数:419,060人
  • 投票率:57.63%
さらに見る 当落, 候補者名 ...
当落候補者名年齢所属党派新旧別得票数重複
五十嵐衣里40立憲民主党98,146票
比当長島昭久62自由民主党91,798票
早川寛44日本共産党19,061票
武田祐一郎38参政党17,013票
三井健61みんなでつくる党7,815票
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公共機関

役所・出張所

さらに見る 施設名, 画像 ...
施設名画像備考
稲城市役所
平尾出張所[16]
若葉台出張所[16]
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警察

  • 多摩市にある多摩中央警察署が両市を管轄する。稲城市では、市民の安全と事務手続きの利便性向上を図るため、大型交番の誘致に取り組んでおり、既に145坪の用地を確保している[17]。ただし、計画は具体化していない。
さらに見る 施設名, 備考 ...
施設名備考
矢野口交番
大丸交番
平尾交番
若葉台駅前交番
東長沼駐在所
百村駐在所
坂浜駐在所
向陽台駐在所
長峰駐在所
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税務

日野市に所在する日野税務署が稲城市を管轄する。管轄区域は日野市多摩市および稲城市である。[18]

消防

当市は単独で消防本部を持っている。島嶼部を除く都内の他の市町村は東京消防庁へ消防業務を委託しており、島嶼部以外では都内唯一の市町村消防組織である[19]

医療

福祉

  • 稲城市介護支援ボランティア制度
    • 2007年9月に、全国で初めて「介護支援ボランティア制度」を導入した[20]。考案者は稲城市高齢福祉課長である。同制度は現在、多くの自治体で採用されている。

ゴミ処理

クリーンセンター多摩川

大丸の多摩川沿いに処理施設「クリーンセンター多摩川」がある。この施設は多摩地域の他市と構成する「多摩川衛生組合」が運営している。組合は長らく稲城市、多摩市狛江市の3市で構成されていたが、1990年代に多摩市が脱退、府中市国立市が加入し、現在は4市で構成されている。

最終処分場として日の出町の「二ツ塚廃棄物広域処分場」を利用している。この施設は多摩地域の多くの市で構成される「東京たま広域資源循環組合」が運営している。

2004年10月よりゴミ収集が有料となった。水色のゴミ袋がプラスチックゴミ、黄色のゴミ袋が燃えるゴミ、ピンク色のゴミ袋が燃えないゴミである。

広域行政

経済

産業

農業

もともと農業を中心とした地域である。かつては市名にもなったように水稲栽培が盛んだったが、現在は水田の大半が宅地化されている。現在の農業の中心は野菜類やナシブドウなどの果物類である。特にナシは多摩川梨として名産地の一つである。市名を冠した品種「稲城」はかなり大玉で甘味が強い品種[21]だが、ほとんどが直売で販売されているため一般市場に出回ることはほぼない。

工業等

南多摩駅周辺には工場・倉庫が集中している。また、市内には製造業や情報通信関連企業の本社・工場・研究拠点が立地している。

サービス業

市南東部にはよみうりランドがあり、市内には東京よみうりカントリークラブよみうりゴルフ倶楽部多摩カントリークラブと3つのゴルフ場が立地するなど、レジャー施設が集積している。また、映像関連の事業所が集積する調布市と隣接していることから、関連事業所が市内に点在する。近年はHANA・BIYORI花景の湯の開業に加え、TOKYO GIANTS TOWNの整備が進み、スポーツ・観光・レジャー機能の充実が図られている。[22]

主な事業所

よみうりランドとコルグの本社は隣接している よみうりランドとコルグの本社は隣接している
よみうりランドとコルグの本社は隣接している

姉妹都市・提携都市

市立小学校の修学旅行(宿泊体験学習)先として選定されている。

教育機関

幼稚園

小学校

中学校

高等学校

閉校した都立校

大学・短期大学

専門学校

  • 東京南看護専門学校

社会教育

図書館

中央図書館城山公園内)のほか、第一図書館、第二図書館、第三図書館、第四図書館、iプラザ図書館の5つの分館がある。また、配本所が稲城市立病院に設置されている。中央図書館には体験学習館が併設されている。図書館は、京王線沿線7市(稲城市、八王子市府中市調布市町田市日野市多摩市)および川崎市との相互利用協定により、各市の在住者も利用することができる。[45]

2026年7月には図書館システムを更新するとともに、閲覧・学習スペースの拡充などのリニューアルを実施し、全館の開館時間を午前9時から午後8時までに拡大した。[46]

中央図書館(2008年11月)

体育施設

  • 稲城中央公園総合グラウンド(長峰) - 稲城中央公園内にある総合グラウンド。天然芝のフィールドや陸上トラックを備え、サッカーなど各種スポーツや大会に利用されている。[47]
  • 稲城中央公園総合体育館(愛称:野村不動産いなぎアリーナ、長峰) - 稲城中央公園内にある総合体育館。メインアリーナ、ウエルネスアリーナ、武道場、弓道場、トレーニングルームなどを備える。2025年4月からネーミングライツにより「野村不動産いなぎアリーナ」の愛称が使用されている。[48]
野村不動産いなぎアリーナ(稲城中央公園総合体育館、2009年4月撮影)
  • 稲城長峰スポーツ広場(愛称:稲城長峰ヴェルディフィールド、長峰) - 人工芝サッカー場、フットサル場、多目的室などを備えるスポーツ施設。ネーミングライツにより「稲城長峰ヴェルディフィールド」の愛称が使用されている。[49]
  • 稲城中央公園野球場(向陽台) - 稲城中央公園内にある野球場。両翼91メートル、中堅120メートルの天然芝グラウンドを備え、軟式野球などに利用されている。[50]
  • 南多摩スポーツ広場(大丸) - JR南武線南多摩駅近隣にあるスポーツ施設。条例上の体育施設名は「南多摩スポーツ広場多目的広場」となる。サッカー場、多目的広場、テニスコートを備える。富士通南多摩工場に隣接して設置され、富士通サッカー部およびその後身の川崎フロンターレが、麻生グラウンド完成まで練習場として使用した。2005年の工場閉鎖後に市へ移管され、現在は市の体育施設として運営されている。[51]
  • TOKYO GIANTS TOWN(矢野口) - 読売ジャイアンツ2軍・3軍の本拠地であるジャイアンツタウンスタジアムを中核施設とするスポーツ・エンターテインメント施設。2025年3月にジャイアンツタウンスタジアムが開業した。[52]
TOKYO GIANTS TOWN INAGI cityの夜間ライトアップサイン(2026年7月撮影)

文化施設

稲城市立iプラザ
稲城市立iプラザ
文化センター
中央文化センター(東長沼)、第二文化センター(矢野口)、第三文化センター(平尾)、第四文化センター(東長沼)、城山文化センター(向陽台)の5館が設置されている。各文化センターは、公民館、図書館、児童館、学童クラブなどを備える複合施設であり、施設ごとに開館時間、休館日および利用方法が異なる。[53]
iプラザ
2009年(平成21年)10月18日に「稲城市立iプラザ」(若葉台)が開館した。410人を収容するホールのほか、iプラザ図書館、スタジオ、会議室などを備える複合文化施設である。[54]
複合施設ふれんど平尾
廃校となった稲城市立稲城第八小学校の校舎を活用し、2004年(平成16年)7月に開設された複合施設である。市民の福祉の増進と魅力ある地域社会の形成を目的として設置され、生活文化施設、教育相談施設、郷土資料室、発達支援センター、体育館・グラウンドなどを備える[55][56]

歴史博物館系施設

稲城市郷土資料室
複合施設ふれんど平尾2階にある市立の歴史博物館に相当する施設で、稲城市の歴史、民俗および自然に関する資料を収集・展示している。[57]

交通

南武線矢野口駅(2008年8月)
京王相模原線稲城駅(2007年9月)
市内を縦断する武蔵野南線(2008年9月)
iバス
多摩川にかかる稲城大橋(2007年11月)

鉄道

市内を走る鉄道路線は全て高架線、及びトンネル区間である為、踏切は存在しない。

東日本旅客鉄道(JR東日本)
JN 南武線
かつては南多摩駅と稲城長沼駅の間に「大丸駅」、1931年以降は「多摩聖蹟口駅」と呼ばれた駅が存在したが、1939年に廃止された。
矢野口駅は2004年-2005年に、稲城長沼駅と南多摩駅は2011年-2013年に高架駅となった。それとともに矢野口駅から多摩川橋梁南側までの高架化が完了し、以降は稲城市による土地区画整理事業が行われている[58]
通過のみで駅は存在しない。その路線のほとんどがトンネル(第二稲城トンネル、第一稲城トンネル、百村トンネル、生田トンネル)で、地上を走る個所は3個所のみであり、その一部が高架橋となっている。稲城市を北西から南東に横切っており、おおよその経路は、稲城市立病院わき(第二稲城トンネル) - 京王相模原線稲城駅西側(高架橋による立体交差) - よみうりランド正面入口(生田トンネル)あたりである。
京王電鉄
KO 相模原線
市域内の同線の駅は、前後を神奈川県(川崎市)に挟まれているため、神奈川県を通らないと東京都の他の駅に行くことができない。
稲城駅と若葉台駅間に、坂浜新駅(仮称)を設置する構想がある。

京王相模原線の若葉台駅川崎市麻生区黒川)は若葉台地区の中心街に隣接する市境にあり、同地区からの利用が多くなっている。また小田急多摩線はるひ野駅(川崎市麻生区はるひ野)も稲城市・多摩市との境に近接しており、若葉台地区西端から近い。市の南部、平尾地区は川崎市麻生区の小田急小田原線新百合ヶ丘駅小田急多摩線栗平駅が近く、後述の iバスも栗平駅前まで運行している。

バス路線

京王バス
小田急バスと同系統では稲城駅 - 若葉台駅がある。他にも稲城駅 - 聖蹟桜ヶ丘駅、若葉台駅 - 聖蹟桜ヶ丘駅、調布駅南口 - 稲城市立病院、府中駅 - 稲城市立病院などがある。
小田急バス
若葉台駅 - 長峰 - 向陽台 - 稲城駅系統(長峰で折り返すバスもあり)と、稲城市立病院 - 稲城駅 - 坂浜 - 新百合ヶ丘駅系統と、若葉台駅 - 平尾団地 - 新百合ヶ丘駅系統と、若葉台循環がある。稲城系統は京王バスと同一路線。市内を通過する路線では、他にも調布駅南口 - 稲城市役所 - 柿生駅系統などがある。
神奈川中央交通
鶴21(鶴川駅 - 和光学園 - 若葉台駅)がある。2024年3月までは鶴22(鶴川駅 - 和光学園 - 若葉台駅 - 調布駅)、柿26(若葉台駅 - 柿生駅 - 市が尾駅)、柿27(若葉台駅 - 柿生駅)の3系統も存在した(土曜1往復のみ)。
iバス
稲城市内(川崎市内にも一部乗り入れ)を運行しているコミュニティバス。赤い色でデザインされた専用車両を使用しており、運行は南観光交通と小田急バスへ委託している。南多摩駅 - 稲城・府中メモリアルパーク間、はるひ野駅 - 南多摩駅間、平尾団地循環の全3路線が運行されている[59]

索道

道路

近年は南山東部土地区画整理事業に伴う都市計画道路の整備が進められており、2025年には多摩都市計画道路3・4・16号稲城南多摩線、2026年には多摩都市計画道路7・4・5号東長沼矢野口線が開通した。[60][61]

また、東京都道19号町田調布線の一部を構成する南多摩尾根幹線では、東京都により全線4車線化に向けた整備が進められている。[62]

有料道路

後述の稲城大橋の無料開放以降、存在しない。また、中央自動車道稲城インターチェンジが存在するが、対岸の府中市に位置する。稲城大橋はかつて有料道路であったが、2010年4月より無料開放された[63]

都道府県道

日本以外の国の施設

  • 在日米軍多摩サービス補助施設 - 横田基地のレクリエーション施設として利用されており、かつては日本陸軍多摩火薬製造所であった。英語名はTama Hills Recreation Centerである。

地域放送

観光

稲城中央公園の標識とくじら橋(2008年11月)
ありがた山の石仏群(2006年4月)
穴澤天神社(2006年9月)

レジャー施設

公園

名所・旧跡

祭事・催事

  • 稲城クロス - 北緑地公園にて年に2回開催されるシクロクロス大会。
  • 市民ロードレース大会(1月中旬または下旬) - 稲城中央公園総合グラウンド及びその周辺にて開催。
  • メカデザイナーズサミット(3月) - 「メカニックデザイナー大河原邦男プロジェクト」のトークイベント。
  • 稲城手づくり市民まつり(5月上旬) - 城山公園にて開催。
  • 日米親善稲城市民ゴルフ大会(5月下旬) - 多摩サービス補助施設内多摩ヒルズゴルフコースにて開催。
  • 稲城フェスティバル(7月または8月の日曜日) - 通称は「稲フェス」。多摩サービス補助施設にて開催。
  • 穴澤天神社例大祭(8月25日に近い日曜日) - 国の重要無形民俗文化財である江戸の里神楽などが奉納される。
  • Iのまち いなぎ市民祭(10月下旬) - 稲城中央公園及び稲城市立iプラザホールにて開催。市内最大規模の祭事である。

スポーツチーム

出身人物

ゆかりの人物

関連作品

  • 仮面ライダー - ストロンガーまでの初期シリーズでは生田のスタジオが使われたため、屋外ロケは本市などで行われた。
  • 仮面ライダーX - エンディングで、百村の武蔵野線貨物トンネルが登場する。
  • 電光超人グリッドマン - 主人公たちが暮らす町として向陽台が主なロケ地となった。
  • 虹のかなた - 2004年の放映のドラマ。主人公の母小川久美子の内職先の工場が株式会社ナカノ多摩営業所矢野口工場。所轄警察署が矢野口警察署。
  • 南くんの恋人 - 1994年放映のドラマ。主人公たちの通う高校の外観として市立第5中学校正門付近が使われたり、市立体育館のアリーナ席や街中の風景などもよく撮影場所として使われた。
  • しあわせのシッポ - 2002年4月~6月TBS系列で、毎週木曜日の22:00~23:00に放映されたテレビドラマ。場面の多くで稲城市が使われている。京王線稲城駅付近の実在するマンションに主人公が住んでいる設定になっている。
  • 日輪の遺産 - 浅田次郎の小説。市内にある米軍多摩サービス補助施設(かつては陸軍多摩火工廠、その後米軍の多摩弾薬庫となり、現在は米軍のゴルフ場や乗馬場などとなっている)が舞台となっている。
  • 大好き!五つ子 - 桜井家が関連する小学校・高校等は稲城市内にある。

脚注

参考文献

外部リンク

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