日本橋馬喰町
東京都中央区の地名
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概要
地理
歴史
かつてこの地にあった初音森稲荷神社の記録によると1551年(天文20年)に馬場が開設。江戸で一番古い馬場で、関ヶ原の戦いの際もここで軍馬が準備されたとされる。神社にちなみ初音の馬場と呼ばれた[7]。博労(牛馬の仲買商人)の集う町だったため博労町と呼ばれるようになり、博労頭を務めた高木源兵衛や富田半七の屋敷があった。徳川家康は慶長年間(1596年 - 1615年)に旧江戸宿の伝馬業者を馬場の近隣に移転させ、そこを伝馬町とした。
博労町の一角は多くの社寺が建ち並ぶ門前町であった。1632年(寛永9年)の江戸図を見ると一丁目に多くの寺が集まっているが、明暦の大火(1657年)以降は区画整理などにより移転が進む[8]。また正保年間(1644年 - 1648年)に博労町は馬喰町と名を改められた。
1735年(享保20年)には馬場が縮小され跡地は町家となる。馬喰町は小伝馬町と共に「旅人宿」の建ち並ぶ町で、八十二軒組と三十軒組の「百姓宿」と併せて「公事宿」と呼ばれた[9]。江戸後期に書かれた守貞謾稿によれば、宿泊費は二食付きで公定248文。大坂の公事宿に比べると質もサービスも下であったと評されている。1851年(嘉永4年)の記録では馬喰町の宿屋は100余軒[10]。
馬場は明治初年まで残っていたが、その後廃されて跡には高湯山温泉という白い薬湯の湯屋ができた。馬場の白湯と呼ばれたという[11]。1882年(明治15年)からは馬喰町にも馬車鉄道が通る[12]。日本橋区本石町三丁目角から馬喰町通りに新たに単線が追加され、浅草橋通りの軌道に接続した。
世帯数と人口
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2025年4月現在)[19]。
| 丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 日本橋馬喰町一丁目 | 全域 | 中央区立久松小学校 | 中央区立日本橋中学校 | 調整区域。以下の学校と選択可能。 ・中央区立日本橋小学校 |
| 日本橋馬喰町二丁目 | 全域 |
事業所
地域
交通
その他
参考文献
- 斎藤長秋 編「巻之一 天枢之部 馬喰町馬場」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、107-109頁。NDLJP:1174130/59。

