日沖憲郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 日沖 憲郎(ひおき のりお、1903年7月2日 - 1993年4月8日)は、日本の刑法学者、裁判官、弁護士、法学博士。 三重県出身。小野清一郎らに師事、刑法学者として改正刑法準備草案、ついで改正刑法草案の作成に関わる。戦後政財界の主な汚職事件で弁護団に参加、ロッキード事件では全日空の若狭得治の主任弁護士として活動した。訳書にイェーリング著『権利のための闘争』(岩波文庫)がある。 1903年(明治36年)7月2日 三重県松阪市にて陸軍経理部の一等主計・日沖喜之助の長男として生まれる。 1916年(大正5年)3月 仙台市原町尋常小学校を卒業 1920年(大正9年)3月 宮城県立仙台第一中学校の第四学年を修了 1923年(大正12年)3月 第二高等学校文科二類を卒業 1927年(昭和2年)3月 東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業 1927年(昭和2年)4月 司法官試補 1928年(昭和3年)12月 判事 1929年(昭和4年)5月 東京地方裁判所兼東京区裁判所に勤務 1929年(昭和4年)8月 東京地方裁判所兼東京区裁判判事 1937年(昭和12年)8月 司法事務官となり行刑局に勤務 1939年(昭和14年)5月 司法書記官となり行刑局第三課長となる 1939年(昭和14年)9月 司法省調査部第三課長となる 1942年(昭和17年)2月 東京控訴院判事 1945年(昭和20年)3月 東京控訴院部長となり、退職 1947年(昭和22年)10月 弁護士登録 1948年(昭和23年)4月 明治大学教授(~1950年3月) 1952年(昭和27年)10月 日本大学教授(~1973年7月) 1959年(昭和34年)3月 司法試験考査委員となる(~1974年) 1960年(昭和35年)3月 日本大学から法学博士の学位の授与を受ける(論文タイトルは『犯罪論における違法と責任』[1]) 1961年(昭和36年)9月 法制審議会刑事法部会委員 1963年(昭和38年)7月 法制審議会刑事法特別部会委員 1973年(昭和48年)9月 日本大学名誉教授となる 1973年(昭和48年)9月 亜細亜大学教授(~1985年3月) 1974年(昭和49年)4月 勲二等に叙せられる 1993年4月8日 脳血栓により逝去(享年89) 関連人物 団藤重光 石川才顕(娘婿) 船山泰範 参考文献 ↑ 国立国会図書館. “博士論文『犯罪論における違法と責任』”. 2023年4月7日閲覧。 典拠管理データベース 全般ISNIVIAF国立図書館日本 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。表示編集 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。表示編集 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。表示編集 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。表示編集 Related Articles