日産・MID4

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MID4(ミッドフォー)は、日産自動車1985年9月に開催されたフランクフルトモーターショーで発表したスポーツカー・プロトタイプである[2]。名前の由来は「ミッドシップ」レイアウトと駆動方式の「フルタイム4WD」から[3]

ボディタイプ 2ドア ベルリネッタ
エンジン位置 ミッドシップ
概要 概要, デザイン ...
日産・MID4
概要
デザイン 前澤義雄
ボディ
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドア ベルリネッタ
エンジン位置 ミッドシップ
駆動方式 フルタイム4WD
パワートレイン
エンジン VG30DE型 3.0L V型6気筒
最高出力 169kW (230PS)/6,000rpm
最大トルク 279N-m (28.5kgm)/4,000rpm
変速機 5速MT
サスペンション
マクファーソンストラット
マクファーソンストラット
車両寸法
ホイールベース 2,435mm
全長 4,150mm
全幅 1,770mm
全高 1,200mm
車両重量 1,230kg
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設計統括 櫻井眞一郎[1]
デザイン 前澤義雄
ボディタイプ 2ドア ベルリネッタ
概要 概要, 設計統括 ...
日産・MID4-II
概要
設計統括 櫻井眞一郎[1]
デザイン 前澤義雄
ボディ
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドア ベルリネッタ
エンジン位置 ミッドシップ
駆動方式 フルタイム4WD
パワートレイン
エンジン VG30DETT型 3.0L V型6気筒
最高出力 242kW (330PS)/6,800rpm
最大トルク 382N-m (39.0kgm)/3,200rpm
変速機 5速MT
サスペンション
ダブルウィッシュボーン
マルチリンク
車両寸法
ホイールベース 2,540mm
全長 4,300mm
全幅 1,860mm
全高 1,200mm
車両重量 1,400kg
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なお、本記事では1987年発表のMID4-IIについても取り扱う。

概要

元々は1980年代後半から1990年代を見据えた車両開発(901運動)のための高速実験車としての役割と、当時日産が主にサファリラリーを中心に参戦していた世界ラリー選手権(WRC)で導入される予定だった新カテゴリ・グループS(実現せず)への参戦を念頭に開発された試作車である[4]

リトラクタブル・ヘッドライト[注釈 1]を持つ2シーターの車体は、デザインの自由度を高めるため素材にFRPを用いている。エンジンは従来のVGエンジンをDOHC化した、排気量3,000ccのVG30DEV型6気筒DOHC(230PS/28.5kgm)をミッドシップ横置き搭載し[2]、フルタイム四輪駆動方式とダイアゴナルAアーム式リアサスペンション及びHICASを採用した。サスペンションは前後ともマクファーソンストラット式である。なお、この車両のインテリアは、S13シルビアの開発の際に次点となった案を採用している。

純粋な技術開発車として製作されたため市販予定はなかったものの、その反響の高さから市販化が検討され[4]1987年の第27回東京モーターショーにおいて発展型のMID4-IIが発表された[2]。スタイリングはより洗練されたものとなり、インテリアは後に発売されるS13型シルビアやZ32型フェアレディZへと繋がるデザインモチーフともなった[2]。サスペンションもフロントがダブルウィッシュボーン式、リアがマルチリンク式に変更された[1]。エンジンは縦置きレイアウトに変更され、インタークーラーツインターボを組み合わせたVG30DETT型を搭載し、最高出力/最大トルクはそれぞれ330PS/39.0kgmにまで向上した[5]

市販化の断念

しかし、最終的にMID4が市販に至ることはなかった。これは過剰な設備投資により日産自動車の財務状況が悪化していたことや[6]、総合自動車メーカーとして採算面での問題がクリアできなかったことが理由とされる[1]

当時、日産自動車の開発部門マネージャーとしてヨーロッパに駐在し、ヴァイザッハにあるポルシェの研究所にも出入りしていた武井道男によれば、当時市販化に向けて3代目の試作車をどうするかを検討するにあたり、959を発売したばかりのポルシェに相談するよう日産自動車の副社長より指示があった。そこでポルシェに相談したところ、「959のようなクルマは、採算を度外視して、ポルシェが持てる力を全部そこに集中して初めて出来るようなクルマなんだ。そのためには、それこそが我らの仕事だと発想できるような組織が必要だ。組織というのは、つまり人間だよ。かじり付いてでも完成させるんだ!我らの技術の粋を見せてやるんだ!!っていう気概を持って仕事に取り組んでいる人間で構成されている組織かどうかということだ。ポルシェはそうだ。日産は、どうなんだい?」という返答があり、それを日産本社に伝えたところ、あっという間に中止の結論が出たという[7]

また自動車評論家の岡崎宏司は、追浜のテストコースでMID4-IIを試乗した際の体験談として「リアの据わりが悪く、クルマ全体の挙動もつかみどころがない。とにかく「怖かった!」」と語っており[8]、サスペンションセッティング等が煮詰められていなかったことが窺える。

しかし、このモデルで培われたエンジン、シャーシ、ハンドリング、サスペンション、デザイン等のテクノロジーはその後の日産市販車に受け継がれた。例えばVG30DE型エンジンは1986年に日本初のV型6気筒DOHCの量販エンジンとして、それぞれ185PSと190PSにデチューンされてF31型レパードとZ31型フェアレディZに搭載された[1]。VG30DETT型エンジンは280PSにデチューンの上でZ32型フェアレディZに採用され[1]、これは後の日本国内におけるエンジン出力の自主規制値にもなった。また、4WDと4WSの組み合わせは後にATTESA E-TSとSUPER HICASの組み合わせで、BNR32型スカイラインGT-Rへと昇華した[1]

上述のとおり、エクステリアは市販車に近い完成度であったことから人気が高く、コンセプトカーとしては珍しくプラモデルやミニカーが多数発売された。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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