日置島津家
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島津宗家15代当主・島津貴久の三男である島津歳久を祖とする[2]。歳久は天正8年(1580年)に薩摩国祁答院で1万7300石を与えられ、宮之城に住したが[1]、豊臣秀吉の九州平定後も朝鮮出兵に出陣しないなど秀吉に反抗的な態度が多かったために文禄元年(1592年)に切腹に処された[2]。文禄4年(1595年)に3代・常久が日置郡日置郷に転封となり、以降「日置島津家」と呼ばれるようになった[1]。江戸時代の家禄は7700石[3][4]。
明治維新後、日置島津家は当初士族に列したが、華族への叙爵運動を行い、明治33年5月9日付けで戊辰戦争における賊徒掃討の功績を以て島津久明が男爵に叙せられた[5]。