以下のような逸話が伝わる[5]。
日野の領主であった蒲生貞秀が鎌掛()(現・日野町)で自生していた根菜を発見する[5]。これを漬物にしたところ、色、味ともに風雅であったことから、貞秀は京の公家・飛鳥井雅親に献上した[5][6]。雅親が漬物を後柏原天皇に献上したところ、美味しさと見た目の美しさを気に入った後柏原天皇は、雅親に和歌を詠むよう命じ、その和歌から、根菜を「日野菜」、漬物を「桜漬け」と呼ぶようになった[6][7]。雅親から貞秀に送られた礼状に添えられていた和歌は、「近江なる 桧物の里の さくら漬け これぞ小春の しるしなるらむ」とされる[7]。
貞秀の転封や日野商人の手によって日野菜は日本全国に広まり、日野町の名産品として広く知られるようになった[6]。