日高忠男
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島根県邑智郡、後の出羽村(瑞穂町[3]を経て現邑南町)で生まれる[3]。旧制島根県立杵築中学校、旧制第六高等学校を経て、1922年(大正11年)京都帝国大学医学部を卒業[1][3]。その後、同大学院で研修し[1]、1929年(昭和4年)医学博士を取得した[1][3]。興仁会病院(浜田市)勤務、浜病院(新宮市)勤務を経て[1]、1931年(昭和6年)松江市で日高医院を開業した[3]。
1947年(昭和22年)島根県医師会長に就任[3]。1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙に島根県全県区から自由党から立候補して3位で当選[4][5]。1953年(昭和28年)第26回衆議院議員総選挙に立候補するも7位に敗れて引退[5]。この選挙では、自由党から日高のほか高橋円三郎、大橋武夫が立候補(いずれも当選)しており乱戦となっていた[5]。