早坂順一郎
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1917年旧制古川中学校(宮城県古川高等学校)を卒業[2]。建築業に従事し、古川町、古川市議会議員、同議会議長を務め[2]、その傍ら太洋無尽の外交員にもなり、1940年3月には古川出張所長に就いた[3]。1942年4月、太洋無尽、東北無尽、宮城無尽が戦時統合で「三徳無尽」として発足すると、古川支店長、副社長を経て、1950年に社長となった[2]。1951年10月、相互銀行法の施行に伴い、三徳無尽は「徳陽相互銀行」に商号を改めている[3]。
宮城県内企業の首都圏との結びつきに早くから着目し、県外への出店を積極的に進めた。また大蔵省出身で蔵相も務めた地元選出の愛知揆一とは、昵懇の間柄で[2]、その結びつきから相互銀行界でも重きを為し、東北相互銀行協会会長・日本相互銀行協会会長を歴任。しかし晩年には自身が絡んだ簿外保証や情実融資が問題となり、第二地方銀行転換への見送り更には銀行破綻に至る禍根を残す格好となった。
他に東北放送社長なども務めた[2]。