天正10年6月1日(1582年6月20日)、光秀軍は毛利攻めのために丹波亀山城を出陣する。篠村八幡宮にて、光秀が5人に信長暗殺計画を打ち明ける。
6月2日(6月21日)未明、信長のいる本能寺を襲撃する。
第一陣の大将は明智秀満。
第二陣の大将は明智光忠。藤田行政、溝尾茂朝を従える。
第三陣の大将が総大将の明智光秀。斎藤利三を従える。
織田信長は自害、または焼死したと思われるが遺体は見つけられなかった。
織田信忠は妙覚寺から二条新御所へ移るも光秀軍に襲撃され自害。
明智光忠は鉄砲で撃たれ重傷を負う。
斎藤利三は信忠軍にいた義弟(利三の妻の兄弟)である斎藤利治を討つ。