星廉平
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| 星廉平 ほし れんぺい | |
|---|---|
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| 生年月日 | 1886年1月1日 |
| 出生地 |
(現宮城県登米市迫町岩沼) |
| 没年月日 | 1967年6月23日(81歳没) |
| 出身校 |
宮城県立第二中学校卒業 (現宮城県仙台第二高等学校) |
| 前職 | 陸軍省臨時嘱託 |
| 所属政党 |
(立憲政友会→) (政友本党→) 立憲政友会 |
| 親族 | 叔父・星松三郎(衆議院議員) |
| 選挙区 |
(宮城県第6選挙区→) 宮城県第2選挙区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 |
1924年5月 - 1928年1月21日 1930年2月 - 1936年1月21日 |
| 在任期間 | 1911年9月 - 1912年10月 |
星 廉平(ほし れんぺい、1886年(明治19年)1月1日[1] - 1967年(昭和42年)6月23日[1][2])は、明治末から昭和前期の日本の実業家・政治家。衆議院議員。幼名・博[3][4]。
宮城県[2]登米郡、のちの佐沼町[1][3][4][5](迫町を経て現登米市迫町佐沼)で、呉服商・先代星廉平、まつゑ の長男として生まれた[1][3][4][6]。1900年(明治33年)家督を相続し廉平を襲名し呉服商を営む[1][3][4][6]。1905年(明治38年)宮城県立第二中学校(現宮城県仙台第二高等学校)を卒業し[1][2][3][4]、陸軍省臨時嘱託となり満州、朝鮮の経済状況調査の視察を行う[1][2][3][4][5]。この経験から政界への関心を持つようになった[1][3]。
1911年(明治44年)9月、宮城県会議員に選出され[1][3][4]、1912年(大正元年)10月まで在任[1]。1913年(大正2年)宮城県治水委員会嘱託となる[1][3][注釈 1]。
1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙(宮城県第6区、政友本党公認)で初当選し[1][3][4]、以後、1932年(昭和7年)2月の第18総選挙まで2回再選され、衆議院議員に通算3期在任した[2][5]。この間、立憲政友会宮城県支部郡部幹事長[注釈 2]などを務めた[1]。
実業界では、東北電灯監査役、黒沢尻電力監査役、仙都ビルディング代表取締役、仙南交通(前身仙南温泉軌道、現宮城交通)顧問などを務めた[1][2][3][5]。
国政選挙歴
- 第14回衆議院議員総選挙(宮城県第6区、1920年5月、立憲政友会公認)次点落選[7]
- 第15回衆議院議員総選挙(宮城県第6区、1924年5月、政友本党公認)当選[8]
- 第16回衆議院議員総選挙(宮城県第2区、1928年2月、立憲政友会公認)落選[9]
- 第17回衆議院議員総選挙(宮城県第2区、1930年2月、立憲政友会公認)当選[10]
- 第18回衆議院議員総選挙(宮城県第2区、1932年2月、立憲政友会公認)当選[11]
- 第19回衆議院議員総選挙(宮城県第2区、1936年2月、立憲政友会公認)落選[12]