星野仁十郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日 1908年3月16日出生地 栃木県上都賀郡日光町(現日光市)没年月日 (1986-07-22) 1986年7月22日(78歳没)称号 正五位勲三等瑞宝章 日本の政治家星野 仁十郎ほしの にじゅうろう生年月日 1908年3月16日出生地 栃木県上都賀郡日光町(現日光市)没年月日 (1986-07-22) 1986年7月22日(78歳没)称号 正五位勲三等瑞宝章 (旧)日光市長当選回数 3回在任期間 1969年8月28日 - 1981年8月27日テンプレートを表示 星野 仁十郎(ほしの にじゅうろう、1908年(明治41年)3月16日[1] - 1986年(昭和61年)7月22日[2])は、日本の政治家、アイスホッケー選手。栃木県(旧)日光市長を務めた。 日光町清滝水沢に生まれる[3]。1942年(昭和12年)5月、日光町議会議員となる[1]。その後、日光町の市制施行に伴い市議会議員となり1969年(昭和44年)7月まで議員を務めた[1]。同年8月23日の日光市長選挙で当選[4]。同月28日から1981年(昭和56年)8月27日まで市長を務めた[1]。 市長在任中には前任者の佐々木耕郎と同様に観光施設の整備などに力を注いだ[1]。さらに、清滝バイパスや霧降高原有料道路の開通など道路を整備することによる観光客増加を図った[1]。また、市立図書館や中央公民館の開館、日光市消防庁舎の完成など市民の生活環境の向上にも努力した[1]。 しかし、1981年8月20日の市長選挙では星野のもとで助役を務めていた斎藤善蔵に敗れ市長を退任した[5][6]。これより前、1971年(昭和46年)には藍綬褒章を、1972年(昭和47年)には紺綬褒章を受章している[2]。 なお、星野は若い頃に古河電工アイスホッケー部の選手として活躍していた[3]。1932年(昭和7年)のレークプラシッドオリンピックでは日本代表のトレーナーとして参加している[3]。また、1964年(昭和39年)のインスブルックオリンピックではアイスホッケー日本代表の監督を務めた[3]。 1986年(昭和61年)7月22日、死去した。78歳没。正五位勲三等瑞宝章を贈られた[2]。 脚注 1 2 3 4 5 6 7 『日本の歴代市長 第一巻』602頁。 1 2 3 “しめやかにお別れ 前市長故星野仁十郎氏市民葬” (PDF). 広報にっこう 昭和61年9月号. 日光市. p. 3 (1986年9月). 2012年10月19日閲覧。 1 2 3 4 『栃木県歴史人物事典』541頁。 ↑ 『日光市史 下巻』878頁。 ↑ “新市長に斎藤善蔵氏” (PDF). 広報にっこう 昭和56年9月号. 日光市. p. 2 (1981年9月). 2012年10月19日閲覧。 ↑ “長い間、ご苦労さまでした 全職員の拍手に送られて退任” (PDF). 広報にっこう 昭和56年9月号. 日光市. p. 3 (1981年9月). 2012年10月19日閲覧。 参考文献 『日光市史 下巻』日光市、1979年。 『日本の歴代市長 第一巻』歴代知事編纂会、1983年。 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社、1995年。 表話編歴 栃木県日光市長2006年3月20日合併 旧日光市長 佐々木耕郎1954.2.11-1969.8.27 星野仁十郎1969.8.28-1981.8.27 齋藤善蔵1981.8.28-1989.8.27 小平英哉1989.8.28-1997.8.27 齋藤隆男1997.8.28-2002.6.2 眞杉瑞夫2002.7.21-2006.3.19 今市市長 青木源吉1954.3.31-1956.4.24 八木澤善吉1956.4.25-1964.4.24 猪瀬征次郎1964.4.25-1966.1.31 山口武信1966.2.20-1972.1.8 福田新作1972.2.14-1974.4.11 斎藤昭男1974.5.8-1986.5.7 福田儀1986.5.8-1987.3.27 猪瀬征次郎1987.4.26-1991.4.14 福田昭夫1991.4.21-2000.9.20 斎藤文夫2000.10.22-2006.3.19 合併後 斎藤文夫2006.4.23-2018.4.22 大嶋一生2018.4.23-2021.4.5 粉川昭一2021.5.23-2025.5.22 瀬髙哲雄2025.5.23- カテゴリ この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。表示編集 Related Articles