昭洋 (測量船・初代)
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海上保安庁水路部(現在の海洋情報部)では、従来から日本沿岸とその周辺海域について、その深さ、海底地質、海流、潮汐、潮流、地磁気の分布などを調査し、航海のための海図・水路誌として刊行してきた。その後、海運や漁業だけに留まらず、海洋開発や環境保全、災害対策の防止など、海を多目的に利用しようという機運を受けて、その基礎資料となる「海の基本図」が作成されることになった[3]。
計画では、日本沿岸および大陸棚海域について、海底地形図・海底地質構造図・地磁気全磁力図・重力異常図を作成していくこととされており、1967年より、測量船「明洋」によって調査が開始された。しかし同船だけで日本周辺大陸棚海域の全調査を完遂するには数十年の歳月が必要で、とても社会の要請に応えられる状況ではなかった[3]。
このことから、昭和45年度予算で2,000トン型測量船の建造が認められた。これが本船である。なお水路部では、前身組織の大日本帝国海軍水路部時代には「筑紫」(1,400トン)を保有したこともあったものの、海上保安庁に移行してからの保有船舶はいずれも1,000トンに満たず、大きさの面では不満が残っていたが、本船の就役によってこちらの問題も解消された[3]。
設計
船質は鋼[2]、船型は長船首楼型、航行区域は遠洋(国際航海)である。測量時には船体動揺を極力抑えることが望ましいが、性格上から漂泊ないし低速航行時が多いことを考慮して、減揺装置としては減揺タンクが採用された。また長期間の行動が多いことから、居住区は小人数の部屋割りとしたほか(士官・准士官は全て個室、科員も1つを除いて全て2人部屋[3])、追加の研究者の乗船も想定して、4人部屋の予備室4室を設けた[4]。
主機関は2基で1軸を駆動する方式であり、観測時は主機1基のみでの低速運転も可能であった[2]。主機関としては富士12VM32 H2Fディーゼルエンジン[1]、推進器としては可変ピッチ・プロペラを採用しており、また精密な操船が必要な場合に備えて、バウスラスターも装備している[2]。なお観測活動への影響を抑えるため、振動および機関騒音の低減が図られた。また測量作業中の安全確保のため、船首楼甲板右舷後部に後部操舵室が設けられた[4]。
船尾甲板が作業甲板とされており、就役後に8トン・クレーンを装備したものの、比較的短期間で撤去された[2]。採水・採泥などの資料収集は右舷および船尾で、排水は左舷で行うように配慮して機器類の配置が決定された[4]。