景陵 (北魏)
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1991年、洛陽市の北の邙山の頂で北魏の宣武帝の景陵が発掘された。墓は直径105m - 110mの円墳であった。墓前に建てられた石刻の武士像は頭部が欠けているが、基座を含めた残高は2.89mに達する[1]。
墓は盗掘されていたが、その形状や構造はほぼ完全に保存されていた。北に重心を老いて南に臨む構造の磚室墓で、総延長は54.8m。全体は墓道・前後の甬道ならびに墓室の4部分からなり、平面は「甲」字形を呈する[2]。
墓道の起点は、墳丘の南縁で、北にのびて甬道へとつながっている。墓道は坂道状で、水平長度40.6m、幅2.8m。全体が南北両部分に分かれ、南側部分は長さ36.1mで、両側の壁は土壁であった。北側部分は長さ4.5mで、両側はレンガ積みの壁で、地面にも細長い青レンガが敷かれていた[3]。
墓道の北に、行く手を塞ぐようにレンガ積みの障壁が設けられていた。その幅は2.8m、奥行きは2.44m。さらにその先には東西3.38m - 3.40m、南北2.35 - 2.40mと横長の長方形をした前甬道へといたる。アーチ式天井で、高さは3.75m。床面に青い石板が敷かれているのを除き、両側の壁面および天井部はすべてレンガで造られていた[3]。
この前甬道の北端に、第二のレンガ積みの障壁が設けられており、幅1.94m、奥行きは0.78m。その先に後甬道があり、墓の中軸線上に位置し、前甬道と墓室を連結していた。長さ5.12m、幅1.94mの縦長の長方形を呈した。その天井はやはりアーチ式で、高さは2.64m - 2.80m。前甬道と同じく床面に石板が敷かれている以外、すべてがレンガ造りであった[3]。後甬道の北に石門があり、そのまぐさ石・門額・立頬・敷居・門扉などは青石の部材で造られていた[4]。
甬道の北に位置する墓室は、全体が細長い青レンガで築かれ、南北6.73m、東西6.92m、面積は約46平方m。天井はピラミッド状に先端がすぼまった形で、高さは9.36m。墓室は東西両部分に分かれ、東側には副葬品が並べられ、西側には宣武帝の棺が安置されていたはずの棺床があった[5]。
副葬品は激しい盗掘のため、残ったものは少なく、龍柄盤口壺・龍柄鶏首壺・四繋盤口壺・唾盂などの青磁や罐・盆・鉢などの土器や四足硯や釉薬のかかった碗などがあった[6]。
景陵に隣接して古墓博物館が建設された[7]。
脚注
参考文献
- 黄石林、朱乃誠『中国文化史ライブラリー 中国考古の重要発見』高木智見訳、日本エディタースクール出版部、2003年。ISBN 4-88888-330-0。
- 塩沢裕仁『千年帝都洛陽 その遺跡と人文・自然環境』雄山閣、2009年。ISBN 978-4-639-02124-7。