『松屋名物集』によると、曲音は「新在家の養花曲庵」と同一人物とされ、養花(曲庵)はのちに筒井順慶、さらに秀長に仕えたと伝わる。京の新在家は地名であり、天正7年(1579年)頃に曲庵が居住していた可能性が示される。
また、曲音の名には「ケイオン」というルビが振られた例があり、『宗湛日記』では「圭音」、『蓮成院記録』では「慶音」と表記されるため、読みとして「けいおん」が正しいと考えられる。
秀吉の茶頭が千利休であったのに対し、秀長の茶頭を務めたのが曲音である。『松屋名器集』には「養花曲庵」とあり、曲音と同一人物として扱われている。天正14年(1586年)3月2日朝、同年9月28日朝、さらに天正15年(1587年)1月17日にかけて、秀長の居城である郡山城の自邸に松屋久政を招き、三度の茶会を催した記録がある。
また、『蓮成院記録』などに見える「御屋」での茶の勧進や、郡山城内に「曲音茶堂」が設けられていたことも、曲音が秀長の専属茶頭として活動したことを示す根拠となっている。