曼陀羅寺
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歴史
元徳元年(1329年)、後醍醐天皇の命により、叔父である天真乗運を開山として1324年から1329年の5年の歳月をかけて創建されたと伝える[2]。その後、後奈良天皇からも勅願寺の綸旨を賜っている[2]。かつては円福寺と称していたが寛正3年(1462年)に現在の寺号となる。豊臣秀吉からは204石の朱印状を戴き、江戸時代には231石の黒印状を戴いて明治維新まで続いた[2]。織田・豊臣・徳川から下付された古文書類のほか多数の宝物を所蔵し、毎年春の藤まつりの開催に合わせて一般公開している[2]。
現存する正堂は、寛永9年(1632年)、当地出身で後に徳島藩祖となった蜂須賀家政によって再興されたものである。
1948年(昭和23年)、西山浄土宗から曼陀羅寺を本山とする浄土宗西山曼陀羅寺派として分派するが、1961年(昭和36年)、西山浄土宗に合流する。
境内
文化財
重要文化財(国指定)
- 正堂 - 寛永9年(1632年)建立。入母屋造、檜皮葺き。
- 書院 - 文禄元年(1592年)建立。書院造、銅板葺き。関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城攻略の際に、東軍の諸将がここで軍議をしたと伝わる[2]。裏庭には「弥陀桜」というヒガンザクラがある[1][3]。
- 絹本著色浄土五祖像:5幅
- 銅鐘 - 朝鮮・高麗時代
愛知県指定有形文化財
江南市指定文化財
- (絵画)絹本著色三尊弥陀来迎図・絹本著色涅槃図・絹本著色地蔵菩薩像・絹本著色欣浄縁図・絹本著色阿弥陀三尊来迎図・絹本著色阿弥陀一尊来迎図・絹本著色光明阿弥陀大三尊図・絹本著色法然上人鏡御影・絹本墨絵観音蘆雁図・絹本著色釈迦三尊図・絹本著色五上人像・絹本著色釈迦十六善神図・紙本著色豊臣秀吉像・紙本著色徳川家康像[6]
- (建築物)曼陀羅堂[6]
- (工芸)香箱文珠・鐃鈸・罄子[6]
- (書状)織田信雄禁制・豊臣秀吉禁制・織田秀信禁制・石田三成禁制・豊臣秀吉安堵状・豊臣秀吉朱印状・九条大納言村久野庄寄進状・後奈良天皇綸旨・女房奉書・曼陀羅寺縁起・織田信雄書状・徳川忠吉書状・原田右衛門領収書状・石田三成書状・三條西公條書状・田地寄進状・空阿円海永代譲渡状・織田信長制札・織田信雄制札・織田信忠禁制[6]
- (彫刻)木造阿弥陀三尊立像・木造地蔵菩薩立像・不動面・木造観音菩薩・勢至菩薩立像(鞘仏)・木造観音菩薩・勢至菩薩立像(胎内仏)[6]
- (天然記念物)むく、彼岸桜[6]
行事
ギャラリー
- 藤まつり
- 藤まつり
- 二河白道を象った庭園
所在地
- 愛知県江南市前飛保町寺町202
