最上政三
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群馬県群馬郡室田村(現・高崎市)出身。逓信省逓信講習所から中央大学へ進み、大学卒業後万朝報に入社。政治部長を務めた後、1930年の衆議院議員選挙に立憲民政党公認で群馬県第2区に出馬して辛くも当選を果たす(定員4名[1])。以後、衆院議員を通算4期務め[11]、この間1945年に逓信院政務官の任についた[12]。
戦後、日本進歩党結成に参加するが公職追放に遭い[13]、身代わりとして妻の最上英子が総選挙に立ち、日本最初の女性議員の一人となった。公職追放後の1955年に高崎市長選挙に出馬するが、住谷啓三郎に敗れた。
人当たりのよさで知られ、庶民に人気があった。また、教育者としても知られ、人材育成に尽力した。私財を投じて人材育成塾「最上塾」を設立、自ら塾長に就任。門弟は1000人以上といわれる。
家族
主な著作
発行年順。
- 『南方遊記』交通研究社、1939年。doi:10.11501/1217026。全国書誌番号:46067581、NDLJP:1217026、国立国会図書館書誌ID:000000727914。昭和14年発行。292p 図版4枚、20cm。
- 『清朝の末期から新政権樹立まで』交通研究社、1940年。昭和15年発行。
- 『満支通信読本』交通研究社、1940年。昭和15年発行。
- 『南アメリカ』交通研究社、1941年。昭和16年発行。
- 「船内生活の事ども : 赤道祭・移民の日課」『南アメリカ紀行』(2版)交通研究社、1942年、30-38頁。doi:10.11501/1044395。NDLJP:1044395、国立国会図書館書誌ID:000000669337。(ミナミアメリカ キコウ)328p 図版 地図 ; 19cm。初版は1939年(昭和14年)。
