月刊歴史
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1968年8月に宮城県松島町で開催された第6回中世史サマーセミナー[2]に参加していた研究者によって、「研究者間のコミュニケーションをはかる冊子の必要」が話題となり[3][4]、東京への帰途の車中で、佐藤和彦、桑山浩然、小山靖憲、黒川直則、田沼睦、柳千鶴、佐々木久彦による“編集会議”が行われ[5]、創刊された[6][7]。誌名は「月刊歴史」であるが、内容は日本中世史の研究であり、1970年10月1日付け発行の第25号からは、題字の誌名に「(中世)」を付すようになった。第1号から第36号までの33点が発行された[8]。編集部は、第1号から第12号(1969年9月1日付け発行)までは佐藤和彦氏宅に、第13号(1969年10月1日付け発行)から第21~24合併号(1970年11月1日付け発行)までは京都市内に、第25号(1970年10月1日付け発行)から第36号までは東京都立大学人文学部歴史研究室に置かれた。
主要な記事は、小論文、史料紹介、荘園調査報告であり[5]、創刊号から最終号までの総目次が、『日本史関係雑誌文献総覧 下』[9]に掲載されている。
荘園調査報告は、誌面では「ワタリ歩ク庄園」の題が付されていて、新見荘(第1号)、阿弖河荘(第2号)、久多荘(第3号)、隅田荘(第4号)、太田荘(第5号)、祢寝院(第6号)、奥山荘(第7号)、菅浦荘(第8号)、鞆淵荘(第9号)、蒲御厨(第10号)、官省符・相賀荘(第11号)、真壁郡(第12号)、福岡荘と福岡市(第13号)、山国荘(第14号)、鵤荘(第15号)、地毘荘(第16号)、新田荘(第17号)、田染荘(第18号)、黒田荘(第19号)、三池荘(第20号)、初倉荘(第25号)、好島荘(第26号)、箕浦荘(第27号)、横手盆地(第28号)、葛川(第30号)、朽木荘(第32号)、竹来郷(第33号)、阿蘇社領(第34号)、荒川荘(第35号)と伴野荘(第36号)の30箇所が取り上げられた。
このほかに、「風のたより」というコーナーには、各大学の学部卒業論文の題名リストや大学学内等の研究会を紹介する記事などが掲載され、「斬る」というコーナーでは時評論説風のコラム記事も掲載された。また、「これは読んだか」というコーナーでは新刊図書案内や雑誌論文のタイトルリストを掲載し、「これは便利だ」というコーナーでは読者間での文献交換の掲示板などの記事を掲載した。これらの紙面構成に対しては「史料中心主義」「安易なプラグマティズム」「やや低俗週刊紙趣味」とみられた場合もあった[10]。
参考文献
- 入間田宣夫「学会消息 第6回中世史サマー・セミナー」『史学雑誌』第77巻第11号、山川出版社、1968年、92-93頁。
- 太田順三「第六回中世サマーセミナー参加記」『歴史学研究月報』第108号、歴史学研究会、1968年、8-10頁、全国書誌番号:00024563。
- 木村茂光「文化の窓 『月刊 歴史』「ワタリ歩ク庄園」のことなど 現場に立って考える②」『歴史評論』第73号、校倉書房、2011年、103-104頁。
- 黒川直則「「月刊歴史」終焉にあたっての雑感」『月刊歴史』第36号、月刊歴史編集部、1971年。
- K・S「編集後記」『月刊歴史』第1号、月刊歴史編集部、1968年、16頁。
- 佐藤和彦「回想のサマー・セミナー」1992年。 (佐藤和彦先生追悼文集刊行会 編『中世民衆史研究の軌跡 佐藤和彦の歴史と学問』岩田書院、2008年、258-261頁。国立国会図書館書誌ID:000010008910。 )
脚注
- ↑ 『月刊歴史』、月刊歴史編集部、1968年 - 1971年、国立国会図書館書誌ID:000000007002。
- ↑ 入間田宣夫 1968
- ↑ K・S 1968
- ↑ 「「月刊歴史」の創刊(学界消息)」『日本歴史』第247号、吉川弘文館、1968年12月、141頁。
- 1 2 佐藤和彦 1992
- ↑ 太田順三 1968
- ↑ 木村茂光 2011
- ↑ 第21~24合併号があるため、号数と点数に異同がある。
- ↑ 国書刊行会 編『日本史関係雑誌文献総覧 下』国書刊行会、1984年4月、846-848頁。全国書誌番号:84040717。
- ↑ S・M「月刊歴史を〈斬る〉」『月刊歴史』第12号、1969年、14頁。
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