有田光雄
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- 鳥取大学・鳥取農林専門学校卒業。農林省に勤めるが、レッド・パージ後は下関市の大林組で働く。その後、京都府庁に勤める。その間、京都府職員労働組合、全日本自治団体労働組合(自治労)中央執行委員・立命館大学講師などを務める。
- 1979年1月、山田芳治の京都府知事選挙立候補による失職、玉置一徳死去による欠員が生じたために執行された衆議院京都2区補欠選挙に日本共産党公認で立候補するも敗れる。
- 1980年6月、第36回衆議院議員総選挙に立候補するも敗れる。
- 1983年8月7日に、前尾繁三郎、谷垣専一の両衆院議員死去に伴う京都2区補欠選挙に立候補。一度は、近畿放送によって当選確実と報道されるが、野中広務に劇的な逆転負けを喫する。同年12月、第37回衆議院議員総選挙に最後の立候補をするが、寺前巌とともに、共倒れとなり敗れる。
- また、第15回参議院議員通常選挙に日本共産党の参議院比例区の名簿に登載されるが、落選。終に国政進出はかなわなかった。