有馬元治
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台北高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒業後の1941年(昭和16年)12月、内務省(東京府属[1])に入省したが、わずか2週間後の1942年(昭和17年)1月、短期現役海軍主計科士官八期生として海軍経理学校に入学し、海軍主計中尉に任官[2]。1943年(昭和18年)11月、主計大尉に進む[2]。終戦後、海軍から内務省に復帰後は、内閣官房内閣参事官、中央労働委員会事務局長、労働省職業安定局長などを経て、1968年(昭和43年)労働事務次官に就任。
労働省退官後の1969年(昭和44年)第32回衆議院議員総選挙に旧鹿児島2区から無所属で立候補し初当選。その後、自由民主党に入党し、防衛政務次官、党国防部会長を歴任するなど国防族として知られた。田中派崩壊後も二階堂進と行動を共にしたため、当選6回を数えながら遂に入閣は出来なかった。1990年(平成2年)2月の第39回衆議院議員総選挙で落選し、政界から引退、地盤を松下忠洋に譲った。
同年4月の春の叙勲で、勲二等に叙され、旭日重光章を受章する[3]。
2006年12月15日11時55分、心不全のため、東京都文京区の病院で死去した。86歳没。死没日付をもって正七位から正四位に叙された[4]。