服部保次 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 大永6年(1526年)死没 天正15年4月18日[1](1587年5月25日)改名 宗次、保次 凡例服部保次時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 大永6年(1526年)死没 天正15年4月18日[1](1587年5月25日)改名 宗次、保次別名 要介、小平太、中戒名 長閑、湖雲浄鑑主君 足利義輝、織田信長、徳川家康氏族 服部氏子 保正、保信テンプレートを表示 服部 保次(はっとり やすつぐ)は、戦国時代の武将。 伊賀国阿拝郡の土豪出身。最初は将軍足利義輝に仕え、たびたび武功を顕した。のち織田信長に転仕し、永禄3年(1560年)桶狭間の戦いでは、今川義元の本陣へ先駆けるという戦功をあげたという[2]。永禄8年(1565年)から徳川家康に仕え、主に敵地との境界の警衛を命じられた。天正5年(1577年)これまでの戦功を賞して遠江と三河に120貫文を与えられる。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで嫡子保正が戦功を上げたため、家康から孫六兼元の刀を拝領した。その家督は保正が継ぎ、代々「服部中」を称した。 脚注 ↑ 寛政呈譜では6月18日とする。 ↑ 普通、この戦功をあげた人物は服部一忠とされる。 出典 「寛政重修諸家譜」巻第1172 Related Articles