服部謙太郎
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東京都出身[1]。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾大学予科を経て、1940年に慶應義塾大学経済学部を卒業[1]。
終戦後の1946年4月、京都帝国大学文学部に入学。1949年に京都大学文学部国史学科卒業。卒業後、日本中世史の研究を継続するために京大3年次から東京に戻り、通い続けてきた東大史料編纂所への入所を希望したが、採用者がなく、紆余曲折の末に1950年、母校の慶大経済学部副手に採用。1951年、同経済学部助教授に昇格するも、翌1952年度限りで辞職した[2]。
1951年6月に第二精工舎(現セイコーインスツル)取締役に就任。1964年6月に服部時計店専務に就任し、1967年12月に副社長を経て、1974年7月に社長に就任した[1]。1983年6月に会長に就任し、同年8月に社名を「服部セイコー」に変更した[3]。
1980年11月に藍綬褒章を受章[1]。1987年9月1日、膵臓癌のために死去[4]。68歳没。墓所は多磨霊園[5]。死没日付をもって正四位に叙された[6]。