望月盛時
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望月氏は信濃国佐久郡の国衆[8]。盛時は望月盛昌[注釈 1]の子とも[3]、武田信玄の甥ともいわれる[6]。
天文14年(1545年)4月、甲斐国の戦国大名・武田晴信(信玄)から真田幸隆を使者として送られ武田氏の配下となり、太刀や馬を贈られた[9]。望月一族が武田氏に降ったことにより、佐久郡の諸将もこれに降った[9]。
永禄4年(1561年)、盛時は第四次川中島合戦に参陣し、上杉軍の簗田外記の槍に突かれ戦死した[10]。享年58歳[11]。
大草家所蔵系図によると、盛時の跡は武田信繁の子の望月信雅が継いだという[7]。なお、確かな史料に見える望月信雅は天文18年(1549年)に望月氏の惣領職を与えられた人物の名であり、この信雅が信繁の子の信頼や信永を養子としている[8]。